辛い作品でした。


アルツハイマーになった妻を施設に入れる。

その後、彼女は、どんどん夫を忘れていく。

それどころか、

施設で出逢った男性と恋に落ちる。

しかし、

その男性は、施設から去ることになる。

理由は、施設のお金を払えなくなったからだ。

その男性がいなくなって妻は落ち込み、

病状が進む。

それまで毎日妻の面会に施設を訪れていた夫は、

自分よりもその男を大切にする妻に傷つけられていたくせに、

落ち込んだ妻を救うべく、

その男性を施設に戻そうとする。

そして、その男性の妻と付き合い、

妻が家を売却することで男性を施設に戻せるようになるが…


終わり方が気に入らない。

何も解決していない。

ま、解決できない問題も多々あるのだが、


妻が恋に落ちるのを見つめている夫。

若い頃は自分が若い女と遊びまくり、妻を苦しめてきた。

そのお返しなのではないかと思う。

もしかして、妻はわざとやっているのではないかとも思う。

彼女の記憶力は、日々変化していて、

どれが本当か映画を見ているだけでは全く分からない。

それでも夫は見守り続け、

彼女が元気でいられる方法を探す。


私も『忘却』という脚本を書く時に、

アルツハイマーについてかなり調べた。

この映画はカナダ映画だが、

そういえば、私も当時カナダ人の患者が書いた本を参考にさせてもらった。


アルツハイマーに入る頃の症状は私の知っている限りだった。

そして、

私もセリフに書いたが、

「ボケたもん勝ちね」という気もした。


映画を見ながら手のひらを合わせて祈るようなシーンがいくつかあった。

それほど辛かった。

忘れるということは辛い。

忘れていく時は、その本人が一番辛いだろうが、

忘れてしまえば、

やはり忘れられてしまった方が辛い。

のではないかと思う。


一緒に過ごした44年間のすべての思い出も、

妻がいなければ、

一緒に語り合い、

一緒に思い出す人がいなければ

ないも同然のような気がする。


私もつい先日そんな感覚を持った。

一緒に過ごした時間のすべては、

一緒に過ごしたその人がいるから、

その人がこの世に居て、

一緒に思い出したり語り合ったりできるからこそ意味があるのであって、

私一人だけが記憶し、

心の中に収めていてもなんの意味もないような気がした。

そして、思い出すという作業をストップする。

何故なら、

居ない人との思い出をひとりで思い出すことは

私にはただただ辛いことだからだ。


主演のジュリー・クリスティが

とても美しい。

年齢を重ねて、顔が皺だらけになっても

これほど美しい人。

顔のつくりはどうにもならないが、

内面的な美しさのにじみ出る老人になんとかなれないものかと、

これからストラグルする予定(;´▽`A``