泣きました。

3回。


1回目は、夫からの最初の手紙。

2回目は、夫からの……忘れました。


人が一番辛いのは

愛する人を失った時。


心理学的には、

人が精神的なストレスを一番強く感じるのは、

愛する人が亡くなった時。なのだけれど、


実は、

愛する人を失うという上記の意味には、

2通りある。


死という形で失うか、

生きているけれど、去る、裏切る、などなど、

とにかく一方的な先方のやり方で突然別れを宣告された時。


果たしてどちらが辛いのか、

この映画では、考えさせられる。


私は、人には、いつももっとも愛している人がいると思っている。

つまり2人ではなく、1人。

その人と一緒に暮らせている場合には特に

その人をどちらの形にしても失うのは非常に辛いことだ。

一緒に暮らしていなくても、

その時、その瞬間、

自分にとって世界中で一番大切な人を失うことは

身を切られるように辛い。


この映画では、

亡くなった夫が、その妻に、たくさんの手紙を残す。

それも死後、いろいろなタイミングで

いろいろな工夫を凝らし。

そんなことがあるから、余計いつまでも、亡くなった夫を忘れられず、

次のステップに進めない彼女を

可哀そうだと思うか?


私は、一年ならそれもいいと思う。

夫が亡くなって一年くらい、

その人のことばかり考えて、

泣き暮らすのも悪いことではないと思っている。

それが何十年も続くと、

それはある種、病的になっていくが、

映画でも設定された1年という時は長くも短くもない丁度良い時だ。


しかし、

生きて失った場合は違うのだ。

何故なら、

その人のことを考え涙するという単純な感情では終わらないからだ。

その人への愛情が強ければ強いほど、

生き別れさせられた場合は、

悲しみが怒りに変化していく。


だから、

それは解決が早ければ早いほどいいと思う。

一年は長い。

一年間泣き暮らすのは、なんとなく美しくも響くが、

一年間憎み暮らすのは、何もいいことがないように感じられる。


何を言いたいかというと、

生き別れというのは、

もっとはっきりと解決することが出来る。

別れたい側は、

はっきりしてあげればいい。

どんなに辛い別れでも、

相手を憎むことで早く立ち直れるかもしれない。


話はそれたが、

この映画で数回泣けたのは、

夫の愛情が感じられたから。


夫は、一年かけてゆっくりと

彼女が立ち直るのを支えている。

病気で亡くなる人は、こうした準備が出来る。

私の友人が癌の治療で入院していた時、

同室のほとんどの人は、遺言書のような手紙を家族あてに書いていたという。


どんなことでも時が解決してくれるのかもしれない。

そのペースが緩やかに優しく感じられる所に

夫の愛情が感じられた映画なのだと思う。


相変わらずラブストーリー好きの私である。