昨年末にテレビで放映された映画を見ました。

素敵な作品でした。


そもそもは、テレビドラマだった作品の映画版。

ですから、レギュラーメンバーはテレビドラマと一緒。


ゲストで堤真一さんと松雪泰子さん。


ある男が、自殺を試みようとした時に、

そのアパートの隣にとっても素敵な親子が引っ越してくる。

その母親と娘が引っ越しのごあいさつにやってくる。

それはそれは爽やかな笑顔を運んでくる。


首つり寸前だった男は、

玄関のブザーを聞き、

台から下りてドアを開け、

引っ越して来た人たちから粗品を受け取る。


それは男にとって新風だったのですね。


その男は、その母親に恋をする。

その母親と娘の生活を隣人として手に取るように感じる。

二人が笑顔で過ごしているハッピーな様子を見て、

自分も幸せな気分になれる。


たった、それだけのことで、

その容疑者Xは、大変なことを自分から引き受ける。


さて、

アパートの一室でひとり寂しく生活している人は

現代は山ほどいます。

その中には、

生きていても仕方がないと考える人も少なくないはず。

自殺するかどうかは別として、

生活に楽しみを見いだせない人もたくさんいます。

そんな時に、

素敵な笑顔を持つ親子が隣に引っ越して来た。

本当に美しい母親。


さて、

一人暮らしの寂しい男は、(女でもいいのだけど)

その幸せそうな笑顔を見ながら、

自分も幸せな気分になれるモノでしょうか?

それとも、

彼女たちの幸せを妬み、

逆に悲観したり、するものでしょうか?


微妙なことで変わってしまうのかもしれない。

幸せな時、

心から喜ぶさまを人々に見せることは、

時として、一部の人たちに不快な思いをさせることがある。

というのが、日本の古くからの感情表現だったと思う。


それに対して、

欧米では、

感情をストレートに出す。

喜びが、他人を不幸にするなんて考えることは全くない。


私も幸せは伝染するものと信じたい。

しかし、

日本人は不幸が好きである。……と感じる。

不幸な人を見ると、

あの人も頑張っているのだから頑張ろうと思う。

一緒に泣いてあげる。

そのことに満足する。


果たして、

自分より幸せそうに笑う人を見て、

あの人も頑張っているのだから……と思える人はどれくらいいるだろうか?


そんなことを考えながらこの映画を見ていた。


しかし、

この映画は素晴らしかった。


彼は間違いなく、隣人に恋をした。

そして、

片思いの彼女に命を救われたと思っている。

そして、

彼女のために

一肌脱ぐどころか、

自分の余生も、名誉も、すべて差し出して、

彼女の幸せを守ろうとする。


が、守れない。

ではなく、それほどの犠牲の上に幸せを気づきあげられるような女性でないから、

彼は恋に落ちたのだろう。


その不器用な愛情表現。

そして、心の純粋さに、

私はすっかり嗚咽してしまったのだ。