タイトル→≪鉄壁の守り≫=『非戦』『非攻』『非久』=《仕事は飯の種》
「戦わずして勝つ。」この言葉は、
孫子の兵法にある有名な言葉である。
戦略とは、゛戦゛いを゛略゛すことであり、表題通り、『非戦』『非攻』である。では、戦わず攻めずに、どう勝利するばよいのか?やはり、相手の謀を読み取り、未然にその謀を防ぐしかない。しかも相手を傷つけずに心服させるのが最善である。
孫子兵法の言葉で語るなら、「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む」である。
しかし、どうしても戦わざる負えない場合、久しく長時間に渡り、泥沼化してはいけない。何故なら、戦いが泥沼状態になれば、双方ともダメージを受けるからである。戦うなら短期決戦で早く集結せねばならない。
要するに、『非戦』とは手も足もださず戦わない事、『非攻』とは相手を攻めない事、『非久』とは久しく=長くさせない事という意味合いである。
格闘技試合の場合、根本的に敵の心理を読み、相手の謀を事前に封じ込めておかねばならない。
観戦者から見れば、長期化する試合が面白いが、勝つ為には短期決戦でなければならない。
人間関係も同じと言える。
この世で一番難しいのは、人間関係かも知れない。夫婦とて昔よりはるかに最近、離婚率が高くなっている。少子高齢化がその兆候とも言えよう。会社において、上司にかみついたら、100%上司が悪くても、必ず部下や下の責任にされるのが組織である。いわゆる、トカゲの尻尾切りみたいなものである。組織である以上、上の指示に従わないと、その会社では働いてはいけない危険人種と見なされる。その危険人種は、組織として協調性がないとかコミュニケーションがないとかのレッテルを、その人の評価として貼られる。
正に、天に向かって唾を吐くように、自分自身にその仕打ちがリターンする。私の場合、上司の仕打ちにによりリターンされ、不遇な人生を送らざる負えない状況を何度も味わった。
会社の場合、まず上司の心理を読み、上司がして欲しい事を常に感じ取っていかねばならない。しかし、残念ならがら上司も人間であり、人間である以上、好き嫌いがある。上司に嫌われると自然と、上司にあら探しされ、どんなに優れた人物でもその人の評価も悪くつけられてしまう。その場合、いくら上司の心理を読みとろうとしても、組織に逆らったとして、難癖をつけられるのが落ちである。
上司に嫌われた場合、対策として、まず自分に与えられた仕事を完璧に全うし、難癖をつけられないようにするしかない。少しのミスだけでも、悪く評価をつけられるのが落ちである。
しかし、別の見方をすれば、仕事を全うしようとする事で、自分自身のキャリアアップに繋がることだけは確実である。仕事をする事で、自身の生活に必要な生活費用を金として、会社から受けとる。
だからこそ、どんな仕事も全う出来る職務遂行能力を常日頃、磨いて高めていかねばならない。『仕事は飯の種』なのである。
この世で一番難しいと言われる人間関係でも、お互い戦いになりその戦いが、泥沼化すれは、双方ともダメージを受ける。ダメージを受けないようにするのが一番である。
出世競争や上司との軋轢等、会社には必ず人間関係という魔物が、蠢いている。人間関係特に上司との関係だけて、自分自分の人生を良くも悪くもさせられる。しかし、『仕事は飯の種』という気概で仕事を全うするようにすれば、たとえ人間関係でリストラや奈落の底に落とされても、次回にそこで培われた実務経験能力を活かせるのである。
正に培われた実力こそ、≪鉄壁の守り≫であり、『非戦』『非攻』『非久』である。社会的地位や役職等の出世競争は、まさにお互い戦い、お互い攻め合い、その会社で勤めている以上、その戦いが久しく長く続く。
ところで、家康も『非戦』『非攻』『非久』に徹した人物である。家康とは逆に、信長は、正に戦い攻め続け戦も長期化させた。石山本願寺との十年に渡る戦が、その典型例と言えよう。家康のように、長生きするように身体を鍛え上げ、健康管理に常日頃気をつけていたからこそ、信玄や秀吉等の強敵が病死し、戦わずして無敵になったのである。