今日のミーティングのひとつは、私の中ではこの事件!(私にとっては事件のように大きな出来事だったのだ)から始まった一連の活動と私の提案、そしてそれが結果としては残りカスのようなミーティングがひとつ残されて、今に至った。その残りカス的なミーティングを利用しよう!と気づいたのは数日前、そして開催されたのだ。
書けることはほぼない、相変わらず、だけど、残しておいて良かった、ある意味諦めというか、しっかりと手放すための一手を出せたとは思っている。
同時にこの2018年、小さな町内会役員として時には怒鳴られつつ役目を果たし、自分の活動では毎月の公開講座と時折のご依頼案件でお話をした。
この組織の中にいることで気づいた疑問を解消すべく幾つかの研修に参加し、その報告を行い、そこから新たな提案を出すこともした。
いやはや今考えると呆れるほどの行動力、この時は諸々私自身の周りは落ち着いていたと言える。叔母も義母も叔父も…
だからこの時期にもう一手、伸ばしておく必要があったのではないか、それをしておけば今の状況は少しは違ったのではないか?
今、自分を鼓舞しながらこの件に参加している理由は後悔だし悔しさだし、あの時まあこんなもんで良しとしましょなんて手を抜いてしまった自分へのリベンジかもしれない。
まあ、今回だって逃げる!という選択はある、
その時は今後一切関わらないってことになるのだけれどね。
写真を一枚、昨日説明を受けながら歩いた寿町、その外れにある教会、
プロテスタントの歴史ある教会で、ここでは半世紀以上前から週末の炊き出しとか行われていたらしい。
結局いつまで経っても日本ではこういう分け隔てなく救うという活動が根付いていない気がするのは私だけか?同行の女性とは同じ話をしつつ、それぞれの場でできることからいきましょうって話たのだ。