これは最近の傾向で、
朝の言葉だけだと代わり映えもしないし、深くもない(これは私が深くないということでもあるのだが)、ちょっとは悩んでみよう、と思ったのだ。
 
ヒリヒリがドキドキとなりキリキリへ痛みが続く映像の暗闇
 
悩んだ結果がこれか?!と思われるかもしれないが…
日曜日に観た関心領域(どうも四文字熟語の映画ってなると閉鎖病棟って言葉が未だ真っ先に浮かんでしまう私なのだが…)の話はチラッと書いた。
終了後立ち上がるのに時間がかかった、ヒリヒリ、ドキドキ、キリキリ、何が違うんだ!と言われるかもしれないけれど、今も私の中でこの映画を思うとキリキリとした痛みを感じる。生活はひとりで成り立っていない、食物にはそれを作り運び売る人がいて買うことができる。電気もガスも水道も、移動することも、多くの人が関わっている。その中には異国で黙々とミシンを踏む人も含まれていたり、武器輸出をしている大企業のもう一つのビジネスとして動いていることもあるかもしれない。
そんな諸々全てに関心を持つことなど正直私にはできない、ましてやそれに対して何か行動するか、と言われたら…
だからこそ、あの映像の中の家族に怒りを持つことがそのまま今の自分に降りかかってくるのだ。
はてさて、どこのどのようなことに関心を持っていたいのだろうか、私は…
 

写真は地元の高台から、昨日の朝
いつも思うことだけど、雲って生物で意志を持って形を変えている、そんな気になってしまう。