仏壇も置かぬ和室の片隅の形見の木像祈り続ける
 
うむ、祈りを続けるの方が良い?いやしつこいか…そんなことを思ったけどこのままで。
 
我が家には仏壇はない、夫は無宗教!と本人は言っている、お経が嫌いだと。
昔々からの何かなんだろうな…
で私は?と言えば、父親は曹洞宗、母はと言えば聖公会に中年になってから入信した、母方は日蓮宗だったのにね、そんな感じだけど宗教云々って家族の間では論争などせず、淡々とそれぞれの習慣を続けていたって感じ。
まあ、父なんてなんちゃって的な気がしたけど。
墓地は幸い公営墓地、一つのお墓に仲良く入っているのだ。
で、私は?!言えば、若かりし頃は聖公会の祈りの場は嫌いではなかったし、今も時折行きたい気分にはなる、でもそれって信仰?かな。
同時に、母の終末期に教会との関係が悪くなったこともあって、それはもちろん時代の😵的なこともあるけれど、少し疑問を持っている。
そんなこともあって私自身が死を意識したある時期、自分に力をくれたのは仏教、具体的に言えば瀬戸内寂聴さんだったのだ。
 
で、つぶやきの木像は、父がいわゆる昔の南方、インドネシアに慰霊の旅的に出かけた時買ってきたものなのだ。観音様的でもありマリア様的でもある、そんなスクッとした立像を最初に見た時から私は気に入っていて、葬儀の後いただいたのだ。
その木像と般若心経の色紙といくつかのものと一緒に置いてある、それが私の祈りの場的なね。
 
さてと写真は、ベトナム・フエでの一枚
わんぱく3人組的な…