なんてことはここ数年?10数年?日々痛感するのだけれど、

結局その言葉の安易な流布は留まらずに、拡がってしまっている。

説明するってことはどういうことか、

責任を感じてるってことはどういう行動を伴ってのことなのか、

 

自己責任ってどこからなのか、

 

そんな朝の新聞に言葉の破壊って文字を発見して読んだ。

情けない、悲しい、を通り越してしまいそうだけど、諦めるってことはやっぱり無責任なのだろうと、考えることだけはやめないで、最低限の権利と義務だけは死守したいね

 

吐き出した言葉の薄さ気付かずに立ち去る人の背中哀しき