今朝はちょっと自問自答的に書いてみる。

このところメディアが騒がしい、引きこもり、の問題

今更だな〜って思うのと同時に、その言葉、変えたいなとも思う。

だってひとりひとりは生きていて、共通項としては家から物理的に出てくることが少ない、ってだけの話で、

もちろん人とのコミュニケーションが上手じゃない、とか、就労経験がないとか少ないとか、学業が中途で終わっているとか、そんなこんなある、かもしれない。

だからって、ひとりひとり、さまざまな生き方があって良いと思っている。

これ、そういう状況を素晴らしいって言ってるわけじゃないよ。だけどまず認めることだと思う。

食事も洗濯もやってるじゃないか、引きこもりじゃない、と返事をした人の言葉は、自分なりに必死に生きてるんだよ、わかってくれよ、って私には読めた。

 

家族がお互いに認め合うことからしか始まらない、今家族がない人には家族的な関係性をどう周りの人が築いていくか、しかない。

言うことは簡単だけど、それが難しいことも十二分に知っている。でも、だからこそ、蜘蛛の糸みたいに細い繋がりでも切ってはいけないんだと、今思っている。

 

追記、引きこもりという言葉を否定しているわけじゃない。自認することから始まる何かもあると思っている。本人以外の人が簡単に規定してしまうことには違和感があるのだ。

言葉足らずな気がしたから書き留めておく。