11月27日から私のブログの更新は途絶えた。

 

これには深い事情がある。

 

私は注意欠陥多動性障害と自閉症スペクトラム障害を持っている。

 

いわゆる発達障害というものだ。

 

これらのせいで家庭や友達にはとても恵まれていたにも関わらず地獄のような日々を送ってきた。

 

12月の18から20日辺りだっただろうか。

 

私はODをして自殺未遂を図った。

 

その頃、既に精神は限界を迎えていた。

 

実行に移す前から死ぬことばかり考えていた。

 

鶴見済(著)の完全自殺マニュアルも買った。

 

そこにはあの世に行く方法だけが淡々と書いてあった。

 

それを参考にあらゆる手段を考えた。

 

首吊り、飛び降り、OD、窒息、溺死...

 

高校の時、首吊りによる自殺未遂を図ったが上手くいかなかった。

 

飛び降りは近くには場所がなく、やむを得ず諦めた。

 

次に考えた手段がOD。

 

これなら自宅でもできて手軽だ。

 

酔い止め、吐き気止め、風邪薬、インチュニブ...

 

様々な薬を200錠近く集めて数日に分けて飲んだ。

 

そのあとのことは記憶にない。

 

気づいた時には家で寝ていた。

 

口の中からは血の味がした。

 

階段から落ちて負傷したのだということを後に両親から聞いた。

 

その後しばらくはどんな物を食べても血の味しかしなかった。

 

あんな酷い目に会ったのだから誰かに話さなければ気が済まない。

 

個人が特定されるようなことは無論かけないのだが、事実に基づいた形で私の人生のことを語りたいと思う。

 

家は経済的には恵まれていた。

 

小学生の頃は生き物が好きだった。

 

昆虫図鑑や動物図鑑を繰り返し読んだ。

 

学校生活で困っていることは特になかった。

 

運動が苦手で体育の授業は嫌いだったが、そのほかの点においては何1つ不自由なく暮らしていた。

 

無意識のうちに周りの人に神経を使わせてしまっていたかもしれない。

 

いや、今考えれば確実にそうだろう。

 

だが、当時はそんなことは気にもしなかった。

 

この先の地獄のような人生が待っているとも知らずに。

 

中学に入学すると少しずつ生活に支障が出るようになった。

 

何せ人間関係が全く上手くいかないのだ。

 

だが、中学生は多感な時期だ。

 

中二病と言われるように変なことがかっこ良いと思う時期だし、人間関係のトラブルも多いだろう。

 

だから、この時点では周囲の人たちも事態をそこまで深刻に考えていなかっただろう。

 

問題が表面化したのは、実に高校に入学してからであった。