・夢見る少年
もうすぐ学校では春の音楽界に向けての練習が始まる。
私、苦手なんだよなぁ、これ。
南瀬ほのかは学校の年間計画表を見ながら顔を顰める。
小学生の頃、音楽の発表会で自分だけ失敗したことがあったのだ。
不甲斐なさと羞恥心に揉まれてあの出来事は彼女の心の中では、トラウマとなった。
また失敗するのが怖い。
笑われるのが怖い。
人前での失敗は微塵の後悔と共に、時として人間を痛めつける。
一方、人前での演奏で、その道のプロから一定の才を認められ、ただでさえ好きだった音楽に、さらなる熱意を持つ人間もいる。
白石梨乃は日頃からこの時を待ち望んでいた。
彼女は勉強、運動、音楽にかけて万能であるが、やはり音楽だけには特別な思いがあった。
その分野が得意な者と苦手な者の間には人生という修羅場において雲泥の差がある。
それは音楽1つとってみても同じことであった。
小学校の教室では生きる気力と強い破棄と共に円満な空気が充満していた。
世界の中の学校という狭い場所の教室という狭い空間にあって、彼らは限界を感じていないのである。
それどころか眼差しは将来の希望に満ち溢れて、生き生きとした活力が漲っていた。
しかしながら、一定の秩序の中である種の社会性を身に着けるこの特殊な空間において、若きにして人生の限界を知ってしまった者も一定数存在していた。
若林祐樹もその1人であった。
算数の概念の理解が難しい、漢字の形を捉えられないなど、複数の困難を抱える彼は勉強というフィールドにおいて周囲の人間との差を明確に感じる過酷な運命にあった。
算数、国語、理科、社会...
周りが当たり前に認識していること、当たり前にできることが自分にはできないという無力感から、学習障害を持つ彼は自己肯定感の低下の一途を辿っていたのである。
しかし、そんな彼にも夢があった。
それは高校生になることである。
周囲の人間は、高校生活は楽しいといった。
高校生になるなど、一般人にとってはごく当たり前の日常の一部に過ぎぬと聴衆は思うかもしれぬ。
しかし、社会的障壁が平均と比べて多い彼のような人物にとって、人生の一般的な安全なレールから外れることはそう難しいことではない。
学習障害を持つアスペルガー症候群の成人男性が自らこの世の全てを終わらすという決断は、普通の人の9倍以上だというデータを彼はどこかで目にしたことがあった。
これが真実かどうかはともかくとして、彼の目標はまず高校入学まで生きるという一点に絞られた。
それでも、将来への不安は常に付きまとった。
小学校を卒業できるのか。
中学校に入れるのか。
高校生まで命が持つのか。
綺麗な心を持った少年はこのような立場にあっても神を恨むようなことはしなかった。
ただ、天に向けて高校生に慣れることを夢見て、祈った。
祈りは人間に与えられた最後の手段だ。
無慈悲なデストロイアーは小さな少年の不安に付け込んだ。
「ソノフコウ、キュウシュウスル、ソノフコウ、キュウシュウスル」
南瀬ほのか、田中恵理、望月湊音の3人が少年の心の中に入り込み、デューグリュックに変身した。
幼き天才2人は不在であった。
海翔は奨励会で対局中、梨乃はクラスメートに勉強を教えている最中だったのだ。
この前の不幸の残骸を始末したあとの後味はあまり快いものとは言えなかった。
例の件は、連続殺人事件としてニュースで報道されたうえに、あの青年も亡くなった。
そのことに対して、少なからず自分たちにも責任があるように、ほのかには思われた。
今度の不幸の残骸はまるでダンゴムシのような見た目だ。
マジカルレンズを翳す。
周りにできることが自分にはできない、彼女にも彼に共感するところがあった。
ほのかは思わず不幸の残骸に駆け寄るとそれを優しくなでた。
不幸の残骸は特段抵抗もせず、気持ちよさそうに目を細めた。
「マジカルシュート」
静かに必殺技を放つ。
目の前の彼は小さな星のように、瞬いていた。
不幸の残骸はしっかりと浄化されたのだ。
マジカルレンズで目にした少年は、困難を抱えながらも明日に向かって一歩一歩進んでいた。
ほのかはほんのちょっとしたことで悩んでいた自分自身が恥ずかしく思えた。
夢見る心はだれにも壊すことはできない。
少年から生きる勇気をもらった気がした。