本の解説の仕事で、もう一発。中神康議さんの『投資される経営、売買される経営』(日本経済新聞出版社)がそれであります。


これがそれ。


僕の写真がやたらに大きく帯に使われていますが、僕の役割は解説を書いただけ。ただし、フツーの解説ではありません。質はともかくとして、量としては思いっきりたっぷりと書きました。本文の1章分以上あります。題して「長めの解説」。


僕は「日本最良の投資家」こと中神さんと中神さんの会社(みさき投資)のお手伝いをさせてもらっています。一見僕の普段の仕事と距離がありそうな資産運用業というか投資業(しかもアクティビスト)ではありますが、これがもうヒジョーに筋のイイ戦略。その中神さんが持論を展開しまくりやがる本を出すということで、長尺のおっとり刀で駆けつけたという次第。


本書の大きな意義は問題設定そのものにあります。すなわち、競争市場に身を置く経営者と資本市場に生息する投資家との関係のあるべき姿について、投資家ではなく経営者の立場に立って考察する。ここに本書のユニークな価値があると思います。


昨近はコーポレート・ガバナンスにまつわる議論が花盛りです。いずれも経営者と投資家のあるべき関係について論じています。そこでは「経営の透明性を確保しろ」とか「社外取締役を置け」とか「委員会設置会社に移行しろ」とか「ROEを明確な経営目標に組み込め」とか「積極的な株主還元策を打ち出せ」というように、株主からの「注文」が前面に出てきます。つまり、こうした議論はすべて投資家目線に立っているということです。


投資家と経営者はノリやソリが合わない関係にある。だからこそ両者の建設的な対話が必要であり、「投資家と経営者はもっと学び合える」という本書のメッセージが出てくるわけです。ところが、同じことを言うにしても、従来の投資家目線に立った議論は、実効性の点で限界があるように思います。

なぜかというと、会社をドライブしていく原動力は、あくまでも経営者の側にあるからです。投資家も「物言う」ことはできますが、基本的には受け身の立場で。サーブ権はつねに経営者が握っている。株主はそれを受ける側に過ぎません。


まずはサーブをする選手の立場に立って考える。こっちのほうが成果を出す近道に決まっています。ところが、これまでの類書は(それなりの事情があるにせよ)間接的な立場にある投資家目線に立っていました。僕に言わせれば隔靴掻痒の感があります。その点、本書はストレートに経営者目線で議論を展開し、靴を脱いでかゆいところの直接ガリガリ掻いてくれます。やる気満々の経営者の方々に読んでいただきたい本です。