伊藤邦雄一橋大学教授の退官前の最終講義が国立のメインキャンパスで行われました。僕は招待されてもいないのに、ちょいと感慨深いものがあり行ってまいりました。

伊藤さんは財務会計、コーポレートガバナンスの分野の大看板でありまして、最終講義も空前絶後のスケール。一橋大学でいちばん大きな31番教室というのがあるのですが、この数百人キャパの部屋が完璧に満席+100人は立ち見が出るという盛況でした。僕も立見で2時間の最終講義を受講した次第です。




内容は伊藤さんのこれまでの仕事生活を振り返るもので、イイものを見せていただきました。このところよく引き合いに出される「伊藤レポート」に至る一連のイイ仕事と紆余曲折の自然な流れ。大看板は一日にして成らず、を目の当たりにしました。

で、伊藤さんは僕と分野が違うので仕事ではそれほど関係はなく、1992年からの8年間は商学部でご一緒してましたが、僕が2000年にいまの置屋(国際企業戦略研究科)に移動したので、それ以来は日常的に顔を合わせることもありませんでした。

それでも伊藤さんの最終講義をぜひ見てみたいと押しかけたのは、僕が仕事を始めた当初にとても親切に助けてくださったことをヒジョーに恩義に感じているからであります。

27歳のときに講師としていまの仕事を始めたわけですが、はじめに割り当てられたオフィスがたまたま当時の伊藤助教授40歳のお隣だったんですね、ええ。

大学というところは基本的に「芸者置屋」のような組織でありまして、一人一人が独立して講義や研究をしているわけです。僕もはじめから放し飼いにされていました。

で、最初のうちは誰も僕のことを知らないし、存在がまるで認識されてないので、毎日仕事場に出ては一人でユルユルと本や論文を読んだり考えごとをしておりました。これはある意味いまと同じなのですが、初年度はゼミの学生も持っていませんでしたので、とにかく毎日人と話すということがないわけです。

で、そうしたころ、伊藤さんが「あー楠木くんね、僕と一緒にグラント(研究助成金)を申請して研究費を取ろうじゃないの?」とご提案をしてくださいまして、僕はそういうものがあることも知らなかったのですが、これ幸いとお話に乗って、はじめてのグラントを松下財団からいただいたのでした。

で、これ以外にも、いまから考えれば驚くべき話なのですが、当時は給料は毎月現金で支給されておりました。現金の入った給料袋を大学の会計課にもらいに行くのですが、こうしたことも僕は知らずにいたら、これまた隣の伊藤さんが「あー楠木くんね、給料が出たから一緒にもらいに行こうじゃないの?」と教えてくれるのでありました。

で、これも講師の頃の話。日本経済研究センターだったと思うのですが、何かの研究プロジェクトがあって、そのリーダーをしていた伊藤さんが「あー楠木くんね、キミの考えを自由に発表してもらおうじゃないの?」と僕もオミソで混ぜていただいたりしました。で、このときに僕が書いたものが新聞に載って、僕にとっては初めての経験だったので、自分の考えが世の中に伝わるような気がして(気がしただけで、単なる誤解だったのですが)、手前勝手に嬉しい気持ちになっていたものでした。

僕の仕事の立ち上げ期にいろいろなドアを開いてくれたもう一人の先輩は、何と言っても米倉誠一郎さん。米倉さんは分野が近いこともあって、その後さんざん仕事やら何やらでコラボりまくりやがったのですが、伊藤さんは僕が商学部を離れて以来、よどみなくご無沙汰しまくりやがっていました。友人の須原さんから「伊藤先生の最終講義があるんで行こうと思うんだけど…」というメイルをいただいたとき、そのことを知らなかった僕は「えー、伊藤さんももう定年退官(63歳)なのか!」と意外に思ったのですが、考えてみれば僕がもう50歳の中年後期なので、当然ですけど当たり前ですけどという話でございます。で、改めて「そういえば伊藤さんには若いころにお世話になったなあ……」と思い出したというわけで、とんでもない恩知らずの俺。

で、この最終講義はぜひ聞いておかなければということで、招かれざる客でお伺いしたという次第です。改めて伊藤大先輩に感謝。