先日、ソウルメイトのideくんと話していたことなのですが・・・・


20歳であった22年前の僕は、ある朝唐突に人生の基本方針を固めたわけです。生活哲学のほとんどは、ようするに優先順位のありようなのだと思うのですが、そのときに僕が思い立ち、現在に至るまでかたくなに遵守している方針というのは、次のような優先順位であります:


1.イヤなことはしない

2.スキなことをする

3.自分以外の誰かのためになることをする


ま、こう書いてしまうと当たり前なのですが、この優先順位にはこういう意味合いがあります。


スキなことをしろ!というのは正論ど真ん中なのではありますが、じゃあ、何が本当のところスキなのかというのはいまひとつ定かではないわけでありまして、42歳になってみるとさすがにある程度はスキなことの輪郭がはっきりしてきているのですが、それでもまだまだ確たることは言えません。20歳当時は、もちろんうすぼんやりとしていたわけで、スキなことをしろ!にも何をしていいかよく分からない。


でも、何がキライかということは、たかだか20年しか生きていなくても、けっこうクリアに分かったわけですね。人(とくに自分がスキでない人)に命令されるとか、人に命令するとか、複雑な利害を抱えるとか、直接の「顧客」でない人に自分の価値を評価されるとか(つまり間接的な評価)、自分の時間配分が遠い先まで自分以外の誰かによって決められてしまうとか、夜遅くまで起きているとか、こういうことははっきりきっぱりとキライだということがよく分かりました(こういう状況に長いことおかれていると、マジで吐いてしまう。お食事中の方、失礼しました)。


で、とりあえず、イヤなことはしないようにしようと考えた少年ケンでありました。スキなことをするための明確な手段としてはっきりと位置づけられる場合はイヤなことでもするにやぶさかではないのですが、イヤなことをやる先に何があるのかはっきりとしていない場合は、とにかくイヤなことだけはしないようにしようという方針であります。ユッコビット!


そうしているうちに、何が本当のところスキなのかも(徐々にではあるけれども)見えてくるだろう。そうしたら、そのスキなことをやることにしよう。こういう風に考えていました。で、実際にだんだんと好きなことが分かってきたわけでありまして、最近はわりと自然にスキなことをするという方針で生活できるようになりました。


20歳の僕が直感的に恐れていたことは、本当はスキなことがあるはずなのに、イヤなことばかりしていると、肝心のスキなことが自分でもなんだか分からなくなってしまうのではないかという、なりゆきまかせのネコパンチ!です。このことだけは絶対に避けようと思いました。


で、3番目の「人の役に立つことをする」ですが、これはあくまでも1番と2番の前提に立脚してはじめて出てくる話ではないかと考えたわけです。スキなことではないと、力がでません。力がでなければ、結局人のためにもならない。スキであれば、自然と能力がついて、人のためにもなりやすいだろう。ですから、1番と2番を固めたあとで、3番を考えようと、まあこういう姿勢なのですね。


「自分以外の誰かのためになることをする」というのは、超普遍的な価値でありまして、まずまず異論をはさむ余地がないことです。ま、これが誰にとっても最終的なゴールだと思うのですが、20歳時点での僕の問題は、いきなり「人のためになれ!」といわれても、具体的にどうしていいか分からないということにありました。ですからこうしたことはとりあえず横においておいて、まずは全力で(?)イヤなことはしないというところから生活を始めたわけです。


それじゃあ42歳のいまになって「自分以外の誰かのためになることをする」ができているかというと、依然として疑問符がついてしまいますね、ええ。ま、この問題に関しては、これから少しずつ達成していくということで、今後とも長い目でみていただければ幸いでございます。


しかし、ものごとを考える順番は、あの20歳のときの基本方針は間違っていなかった。今でもこれだけは確信しております。