僕が少年だった昭和40年代。ファミレスもなく、マクドナルドもなく、ピザは家までやってこず、おすしも回転していないという時代。外食といえば、ごくたまに親と一緒にキャンティにいくぐらいで、途中をすべてすっ飛ばした、きわめて非日常というか非連続の経験でした。
当時の日常的な外食?経験といえば店屋物の出前。「今日は店屋物の出前でもとる?」というのは子供にとって限りない喜びでした。祖父母の家に行くとときどき僕の熱烈なリクエストを受けて出前を取ってくれるということがありました。父方の目黒の祖父母の家で使っていたのが「松かつ」というお蕎麦屋さん。あのグリーンピースがのったカツ丼が到着するとうっとりしたものです。母方の祖父母の家では「香月」のてんぷらご飯。こっちはお蕎麦屋でなく、たぶん鰻屋さんだったと思うのですが、なぜかてんぷらご飯(天丼ではなくて、てんぷらとご飯が別々になっている)を好んで注文していました。
母方の祖父は生前は銀座でちいさな診療所をやっていたのですが、そこに遊びに行くと、きまって昼ごはんにとってくれるのが近所の料理屋が周囲の勤労者向けに届けていた「おさしみ定食」。ご飯の上にゴマがかかっていまして、それが妙に嬉しかったことを覚えています。
当時の日常的な外食?経験といえば店屋物の出前。「今日は店屋物の出前でもとる?」というのは子供にとって限りない喜びでした。祖父母の家に行くとときどき僕の熱烈なリクエストを受けて出前を取ってくれるということがありました。父方の目黒の祖父母の家で使っていたのが「松かつ」というお蕎麦屋さん。あのグリーンピースがのったカツ丼が到着するとうっとりしたものです。母方の祖父母の家では「香月」のてんぷらご飯。こっちはお蕎麦屋でなく、たぶん鰻屋さんだったと思うのですが、なぜかてんぷらご飯(天丼ではなくて、てんぷらとご飯が別々になっている)を好んで注文していました。
母方の祖父は生前は銀座でちいさな診療所をやっていたのですが、そこに遊びに行くと、きまって昼ごはんにとってくれるのが近所の料理屋が周囲の勤労者向けに届けていた「おさしみ定食」。ご飯の上にゴマがかかっていまして、それが妙に嬉しかったことを覚えています。