ちょうど9年前の日記を見た。

あの頃は震災直後とは思えない、いや、震災直後だからこそ凄く“イキイキ”と“必死”に目の前の事を楽しんで生きていた気がする。

 

大学で北欧の文化や社会に興味を持ち、卒業後に京都の某レコード店で働いていたものの、我慢出来ず退社して3ヶ月行こうと決めた。あの頃の気持ちはすごく覚えている。

レコードのバイヤーになる夢を持っていたけど、バイヤーになれば北欧には長い期間行けないだろう。そんなことを思っていた矢先、バイヤーの仕事を手伝ってくれないかというお話が回ってきた。北欧から帰ってきてからでも、なろうと思えばバイヤーにはなれるだろうと思い、その話の流れで退社の意向を伝えた。2010年の夏だったかな。

急に辞めるのは申し訳ないしそんな気は無かったので、年内いっぱい働いた。

後任も採用されたのでしっかり引き継いだ。

そして2011年の1月に京都の部屋を引き払って6年ぶりに仙台の実家に帰省した。

 

それからは6月の夏期大学プログラムまで渡航の準備や、歯医者など現地でお世話になると厄介になる事も済ませた。この時に後に使えなくなるクレジットカードを作った。

 

姉が上海で働いてたので、韓国で待ち合わせて遊ぼうという話が持ち上がった。

京都ではもちろん仙台に帰ってもタイミング悪く毎年会ってなかったので久々に会うことになった。当時姉が韓国の方と付き合っていたので場所が韓国になった気がする。

韓国に行くのは3/11に決まった。

 

小さい虫歯があったので歯医者には渡航前に2、3回通った気がする。

韓国に行く2日くらい前にも診察があって、待合室で待っている時にかなり大きい地震があった。

宮城はもともと地震が多いと生まれてこのかた分かっていたので、「ああ〜

仙台に帰って来たな。笑」くらいに思っていた。

韓国に行く当日は仙台空港でお昼を食べて、確か13時30分とか40分くらいに離陸したと思う。

その1時間後、仙台空港は津波に飲まれた。

その後のドタドタはここで書くのは控えるが、それを経てこのブログの「Day0」の投稿を読むと非常に味わい深い。笑

 

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北欧を表すトピックとして「シンプルな生き方」というのがある。

必要最低限の物だけを持ち、出来るだけ新しい物は買わない。

壊れても出来る限り修理して使う。

買い替える場合でもフリマや親族のお下がりなどを使う。

エコでもあるし、物に埋もれない生活は精神的にも安定したシンプルな暮らしができる。

もともとその精神が好きだったが、震災後に「本当に生きる上で必要なものとは?」という多くの人が持った疑問に真っ向から回答していてストンと腑に落ちた。

時間を犠牲にしてまで沢山お金を稼ぐ事も大事だけど、それよりも家族との時間や自分への投資にかける時間を大切にする。

北欧関連の本に載っているような事ばかりだけど、本当に身に染みたし、今後の働き方や生き方を考えた3ヶ月だった。

 

北欧に行く前までは、帰ってどんな仕事をしようか全く決めてなかった。

逮捕されても良いから不法滞在して住んでやろうかとも半分本気で考えてた。

あと震災後だったし実際日本に帰ってどうなるか想像すら出来なかったというのもあった。

日記を読んでも分かるけど、結局は現地のレコードショップに入り浸っていた。

日本にいる時とやっていることがそんなに変わらなかった。

でも、日本でもあまり知られてない素晴らしいアーティストが沢山いることが分かったし、日本に帰ったら何かの形でそれらを広めたいと思った。

結局はまた音楽業界に戻ると決めた。

 

帰国後すぐに東京に部屋を借りてインディーズ系のレコード会社に就職した。

そこで縁があり、北欧の音楽業界団体が年に一回日本に来て行う商談会に参加する機会を得た。

その後の細かい話は割愛するけど、最終的に北欧のアーティストの作品を日本で販売するまでに至った。

レコードではないけど、気付いたらバイヤーのような仕事もしていた。

もちろん楽しい事ばかりでなく大変だし辛い事も沢山あった。それでも目標を設定してある程度達成したこの一連のプロセスは自分の人生を振り返る中でも非常に大きなものである。

そして北欧に何度も救われた。今でも何度も救われている。

だから、北欧がなぜ好きなのかとか、どんなところが好きなのかと問われると返答に困る。

それくらい自分の中で大きく特別な存在。

 

昨年、2019年の10月にこの時以来久々に北欧を再訪した。

しかもまさかのノルウェーはオスロ。笑

あの因縁の街オスロだ。

 

当時はあまり肌に合わなかったけど、今ではかなり好きな街になった。

何故かは分からないけど。

そして今では、仕事の関係で現地に知り合いもいる。

こんなこと9年前に想像出来ただろうか。

魅力にどんどん気付くから楽しい。行くのをやめられない。

 

オスロにはぜひ近いうちにもう一度行きたいし、他の国にも再訪したい。

イオンのクレジットカードはまだあのATMに入ったままで良い。

 

S

お久しぶりです。


7月25日にコペンハーゲンからスウェーデンはヨーテボリに渡り、2日後の27日から、こちらストックホルムに来ております!
この後に戻るヘルシンキを除けば、この旅で最後の滞在地です。

ストックホルムは気候的にはヘルシンキに近く、非常に暑いです!
オスロ、ベルゲン、コペンハーゲン、ヨーテボリがかなり寒かったので、尚更暑く感じますね。
(思えば、オスロのZARAでパーカーを買い、コペンでHelly Hansenの防水ジャケットを購入。)

実は、ストックホルムって観光するところが少ないんです。
もちろん国立博物館、美術館など色々ありますが、

他の国でしこたま見ましたしね。笑

オスロ美術館でムンクの作品を見た僕には少々刺激が足りないのでございますよ。

ですが、建物や町並みは見てて面白い。
だからひたすら散歩しています!
足の裏にできたマメが痛いです。笑

しかも、やはりH&Mの国(街のいたるところに、しつこい程あります。笑)だけあって、ファッションも素晴らしい!
服とか靴を見るのもとても楽しいです。

更には、音楽!
北欧の音楽シーンの中でも僕が一番期待していたスウェディッシュ・ポップを毎日堪能しています!

そんな感じで、他の国とはまた違った雰囲気の中で生活していますよ。

日記を書くのが素直に面倒くさく、全然書く気になりませんが(笑)

またお会いしましょう。

さようなら~

S
今日は、コペンハーゲンと同じ島にあるロスキレという古い街に行ってきました!
水曜日には隣のFyn島にあるオーデンセに行くので、列車に乗る練習も兼ねてのお出かけです。


コペンハーゲン中央駅からインターシティーという列車で30分。
デンマークの歴史はここからスタートしたとも言われる街、ロスキレに到着です。
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これが駅ね。


そして、目玉のロスキレ大聖堂です!
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ちなみにユネスコ世界遺産です。
王が変わる度に増改築を繰り返したので、色々な様式が混ざった建物になっているそう。

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大きい街ではないのでぐるっと散歩して帰ってきました。



いやぁ、満足、満足♪と帰りながら、ふと。

「ストックホルムの宿とヘルシンキまでのフェリーは押さえたし、ヘルシンキの宿も確保しとくかぁ。」と思いインターネットでリサーチすることにしました。



が、



どっこも満室!!!!!!




ヤバい、これはヤバい。




最後まで本気だ、北欧は!



基本的に探している宿はホステルという安宿で、部屋を数人でシェアするドミトリー部屋。
そのドミトリーどころかシングル部屋も空いてない。汗


この旅で利用した、サイトを行ったり来たりして、絞り出すように何とかリストアップをしました。
最悪、フェリーで一時間ちょいで行けるエストニアのタリンに滞在することも覚悟しました。
(タリンはヘルシンキの半額近い値段で滞在出来ます。物価もかなり安くて、酒を買いにフィンランド人が海を渡って来る程。フェリーも安いし。)

リストアップすると、複数回の宿チェンジを強いられることが判明。
更に、蜂の巣のように、一日だけどうしても取れない日も出てくるという状況。

でも、次の日まで考えてたら状況は悪化するだけなので、取れる部屋をどんどん予約していきました。
出来るだけ移動が少なくなるように連日泊まれる所は最大まで泊数を希望して、且つ、安く泊まるように計算。
そして、どうしても取れない日は少し高めのシングル部屋を予約しました。。

今、カレンダーの手帳がすごい事になってます。笑

そして、

18日間に7回チェックイン/チェックアウトを繰り返すことになりました。

確かにヘルシンキは夏至のある6月が素晴らしいんだけど、よくよく考えたら、世間の夏期休暇は8月がピークだよなぁ、と今更気付きました。笑
俺のバカ。
ヘルシンキ出るときに押さえといても良かったなぁと思ったけど、2ヶ月先はどうなってるか分からないですからね。
難しいです。

とりあえず宿は確保出来た。

あのとき、ふと思い立たなかったらもっとヤバいことになってましたね。汗

S