高校生の頃、憧れた聖域
富士スピードウエイの50周年イベント「富士ワンダーランドフェス」に行ってきました。
でも、今になって思えば、あまり本気ではなかったかもしれません。イタリア語をマスターしたとしてもフェラーリに就職できるはずもありませんし、何より大学に行くより、イタリアに行った方が近道でした。でも、国内旅行しかしないドメスティックな家庭で育った僕はそういう発想にはなりませんでしたね… 結局、偏差値も足らなかったわけですが… 笑
今考えると、僕にはスタッフとしてチームの手伝いをさせてもらって、パドックに入り込みたいという下心があったのかもしれません。でも、機械のイロハも分かっていない小僧を受け入れてくれるわけもなく、たぶん段々うっとぉしいガキになっていったと思います。
だって、楽しいんだもん(o^^o)
僕がモータースポーツを本格的に見始めたのは1991年です。
F1ブームに乗っかって、F3000やグループC、グループA、いろんなレースに興味がありました。当時、中学生〜高校生という時分で、将来はレース業界で働きたいという思いがありました。
憧れは「フェラーリ」で、フェラーリに就職するためにイタリア語を勉強しようなんて気になり、イタリア語学科を目指して受験勉強しておったわけです。
でも、今になって思えば、あまり本気ではなかったかもしれません。イタリア語をマスターしたとしてもフェラーリに就職できるはずもありませんし、何より大学に行くより、イタリアに行った方が近道でした。でも、国内旅行しかしないドメスティックな家庭で育った僕はそういう発想にはなりませんでしたね… 結局、偏差値も足らなかったわけですが… 笑
あ、話がそれました…
高校生の頃、学校の近くに「フナキレーシング」っていうチームがありました。F3とF3000をやってました。 学校の窓から見えるフナキレーシングのファクトリーにはCAPCOMカラーのF3000(和田久選手)、F3(石川朗選手)のマシンが飾ってあって、見せて欲しいなぁ〜とウロウロウロウロしてました 笑
ある日、授業員の方が声をかけてくれて、見せてくれませんか?とお願いしたところ、ファクトリーを案内してくれました。
中はいわゆる典型的な工場でしたが、いろんな説明を受け、たぶん相当トンチンカンな質問をいっぱいしたと思います。今みたいにインターネットもなかったですから… メカニックの方は仕事の手を止めて、いろいろ話を聞かせてくれました。
今考えると、僕にはスタッフとしてチームの手伝いをさせてもらって、パドックに入り込みたいという下心があったのかもしれません。でも、機械のイロハも分かっていない小僧を受け入れてくれるわけもなく、たぶん段々うっとぉしいガキになっていったと思います。
「おぉ、今度来なよ!」
そんな言葉を期待していたのかもしれません。
簡単には入り込めない…
そう、今はお金を出したら入れるパドックですが、あの頃、パドック、ピットは「聖域」でした。
でも、ファクトリーを何度か見せて頂いた経験はその後も強い記憶として残りました。
2004年からレース業界に関わらせて頂くことになり、ピットレポートをしながら、いつかちゃんとご挨拶をしたい、お礼を言いたいと思っていました。
なんと偶然、、、、
富士ワンダーランドフェスのピットで、その方と再会できました!!!
今はヒストリックマシンのレストアをされているそうです。もちろんお礼を言わせて頂きました。あの体験はレースアナウンサーとしてお客様にいろんな情報をお伝えするモチベーションの一つになっているんです!本当に感謝しています。
「聖域」を示してくれたからこそ、今のモチベーションがあるのだと僕は感じます。
あれから25年以上、、、
オーナーの方のお話によると、熟練のメカニックさんだからこそ感じ取れるクルマの部品の疲労具合、もうどこにも存在しないけどレストアの過程で熟練のメカニックさんにしか作れないパーツがあるそうです。
すごいな。
やはり、パドック、ピットはそんな方が勝負する「聖域」だと改めて感じました。