教養ということ | 物質の下僕

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語りえぬものには、沈黙しなければならない












let me have my enemies butchered

教養主義の時代というのが確かにあったと思う。

私が気づかないでいるうちに、世の中では教養なんてものは全然尊重されなくなっていた。

知識や雑学を教養だと勘違いしている人ばかりである。

何かをわかった気になるのが教養だと思っている人が大多数である。

では教養とは何か、と問われて説明に窮する。

教養無き者に教養の何たるかを説明することは不可能である。

教養主義なるものが、そもそもいかさまだったのだ。

教養は求めて得られるものではない。

ある種の生き方を選択し、またはそれ以外を選択できないほどの欲求に突き動かされて生きた者が結果として教養ある存在になっている、というのが真実であろう。

教養は服を買って着るようにはいかない。

誰かに仕立ててもらうわけにもいかない。

損得抜きで知的好奇心を抱いて人生を始める、というのが出発点のような気がする。

教養ある者は「知らない」ということを恐れない。

それにひきかえ、教養のない者は人生を怯えて過ごすことになる。

There are also unknown unknowns.