Mikan

NBAの黎明期にインサイドを圧倒した

元ミネアポリス・レイカーズのセンター、

ジョージ・マイカンが80歳で亡くなりました。


シカゴのデポール大学でプレーし、

ゴールに向かって落ちているボールをあまりにも多くブロックしたので

1944年、2年生の時に、

それを禁止するゴールテンディングのルールが導入されました。


そしてインサイドにずっといる事を禁じるために、

フリースローレーンが広がり、3秒ルールが導入されました。


  Lane


レーンのことをKeyと言うことがあるんですが、

これは左のフリースローレーンの鍵穴の形の事を

言ったものだったんですね。
その形でなくなっても、Keyという呼び方は残ったようです。

(鍵って書いてました。ハズカシイ)


ルール変更にも関係なく大活躍したマイカンはプロになりますが、

まだリーグが林立していた時期で、

1年目はNBLと言う今は存在しないリーグでプレーしました。


そこでチームを優勝に導いた後、

BAAのミネアポリス・レイカーズに移籍。

ここでも1年目に1試合平均28.3点取り、リーグ優勝します。


次の年からはBAAとNBAが合流し、

マイカンのプレーした5シーズンのうち

4回ミネアポリスが優勝しました。

もちろん、ミネアポリス・レイカーズは

今のロサンゼルス・レイカーズの前身です。


NBAの最初のスーパースターと言われ、

ジャンプフックを広めた選手でもあるようです。


地面にボールをつけずに、

右手でレイアップ、リバウンド、左手でレイアップ...

と繰り返す練習はマイカン・ドリルと呼ばれているそうです。


1967年にはNBAのライバルのABAのコミッショナーとして、

赤、白、青の3色のボールや3ポイントシュートを導入し、

バスケットボールと言うスポーツを今の形に近いものとし、

人気上昇にも貢献しました。


フックは最近のNBAでは珍しくなっちゃっていますよね。

マスターすればほとんど止められない武器なんですが...


(写真はNBAより)