過去のイジメとどう向き合うのか?
という事だと思います。
ざっくりとそんな話だったのですが、本編前の前振りとストーリーの中心はそこでありながらお話全体では人がどういったコミュニティで生きるのか?って話だったのだと思いました。
まずは主人公のはなちゃん
イジメられていた環境から身を移し、新たに出来た仲間と支え合いながら生きている。
新しい仲間との今が思い出になり、それが彼女の希望であり、イジメと向き合うまで至った心の支えにもなっている。
これまでイジメをストーリーの一部に扱ったアニメの典型はイジメに立ち向かい、イジメを悪とし是正するというのがほとんどだったと思う。
展開としても熱いストーリーを描きやすく好まれもしただろう。
しかしそれは反面でイジメ被害者がイジメに立ち向かい闘わねばならないという、尋常ではない行動力と労力を必要とするストーリーでもある。
これは実社会ではほぼ実現不可能だろうし、それが出来るほどの人がイジメに遭うことなど皆無だろうと思う。
今という時代と、今を生きる人を応援する為に上辺だけの綺麗なストーリーに逃げたりせず、真正面から向き合ったが故の今回のシナリオだったのではないかと思う。
はなちゃんは自分を認めないコミュニティを離れ、お互いを認め、支え合うコミュニティを作り生きている。
それは問題から逃げたカッコ悪い生き方ではなく、自分が自分らしく生きれるコミュニティを見つけるという人として必要なプロセスを実行しているという事。
次にジェロスちゃん
彼女は自分の理想の為に部下をクビにするという選択をした。
僕自身はこの選択が間違いだとは言い切れないと思っている。
会社というコミュニティの中に生きていく上で、彼女が彼女らしく生きる為に必要なプロセスが部下をクビにするという事だっただけである。
部下の二人の視点で言えば非情な話かもしれないが、結果を出せずにズルズル進み、共々落ちていく可能性を考えれば一遍に非難出来る事ではないと思う。
共存できず、コミュニティとしての機能を失うのであれば、それを手放すのも一つの選択である。という考えです。
その生き方を選択するのも個人の自由だし、
非難される事ではない。
そんな2つの生き方を描いた今回のお話で問われているのは
・あなたはどういう生き方を選択するのか?
・コミュニティに所属するならどのような関係を望むのか?
この2つに対するビジョンをしっかり持っていないと自分を殺して生きていたり、望まない関係に疲れてしまうような事が起こってしまうと思う。
僕らぐらいのおっさんになってしまうと生きやすい環境を見つけて生きているってのを自然と選択していくのですが、子供はやはり簡単に環境を変えたり選んだりできないものです。
不特定多数のコミュニティであれば、やはり自分の生き方が出来ない事もあるでしょう。
大人でいえば会社
子供でいえば学校
なんかここまでくると「逃げれない辛さ」を語らなければならない感じになってしまいます。
それは今回の主旨とズレるのでまたの機会に
自分らしく生きる事が出来ないのは辛いことです。
なんでもやりたい放題は違いますが、自分が大事にしたい価値観を認められないのは存在を殺す事と同義です。
そこまでしてあなたはそのコミュニティにしがみつきますか?
そうではない生き方も見つけられますよ
という問いかけだったのだと思います。