自己責任という言葉について・2
僕が独立開業したのは2004年。
独立するきっかけになったのは、深夜、停車中に、酔っ払い運転に激突されたことも大きいです。
その頃、遅いと深夜1時まで温浴施設のマッサージ室で働いていました。
帰宅が2時過ぎくらいでした。
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相手は韓国人のスナックママ。
頭を強く打ち、脳震とうを起こして気絶している間に逃げました(逃げるんかーい!)
逃げたわけは、韓国人ママは確実に飲酒だったからでしょう。
飲酒事故より、逃げた方が法律的に軽いのです。
よくご存知です(笑)
もちろん
『スナックで働いてるけど、お酒は一滴も飲まない』と言い張りです(笑)
相手は無保険車でした。
逃げておきながら
『あんなところに止まっている方が悪い!!!』と逆ギレでした。
直線道路でハザードを出して、火事になっていたので消防署に電話をしていたのです。
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なんかもう『この人、話しにならない』という人でした。
韓国とか日本とか関係なく、世の中には、こういうどうにも話しにならない人がいるんだと思いました。
裁判を起こすしかないと思いました。
『確実に勝てますが…勝ったところで、相手からはお金が入る可能性は薄いですよ。かなり。
韓国に逃げられたら、もうどうにもならないレベルの裁判です。
訴訟費用が無駄になるだけの可能性は高いですが、どうしますか?』
弁護士に言われました。
確かに…
勝ったところで、お金が払えるような人ではないと思いました。
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仕事は休まなくてはいけない。
車も修理しなくてはいけない。
これぞまさしく『泣き寝入り』
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働いていた温浴施設。
安定的にお客さんがいたので、そこにいれば、贅沢しなければ生活できることはできました。
妻が強く言いました。
『深夜に働くから、このような可能性が出てくる。絶対辞めた方がいい』
まだガラケー時代で、駅から徒歩2時間の自宅での開業はギャンブルでした。
しかし、あの韓国人ママがきっかけで、自宅で開業することにしたのです。
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開業して間もなく、無保険・飲酒運転の韓国人ママに感謝することになりました。
自宅開業になり、労働時間は減って、収入は上がりました。
ストレスは限りなくゼロで、朝はゆっくり妻と話しながら珈琲タイム。
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韓国人ママがツッコんでくれなかったら…
今はけっこう苦しかったはずです。
売り上げの50%は店に持って行かれ、あの時より温浴施設はかなり増えました。
家のローンも払えてなかったことでしょう。
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あの時
逆ギレするような人に出会ってしまったのは、深夜に働いていた自分が悪い。
何となく店に行けば、なんとなくとりあえずのお金が入るからいいや…という意識で働いていた自分が悪い。
そう気持ちを切り替えたのです。
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今は毎日、ゆっくり生豆から珈琲豆を焙煎して、妻とああだこうだお喋りしながら1日が始まります。
『とても豊かだなぁ…』と思うのです。
それもこれも
あの韓国人ママのおかげなのです。
無保険車・飲酒運転・おまけに逆ギレ韓国人ママのおかげ。
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もうブロックしたので読まれることはないのですが、『ふざけるな!』とコメントしたかた。
繋がってから、何度か長文の個別メッセージ。
辛辣な言葉で申し訳ないのですが
『常に自分は可哀想な被害者』
ついでに、あるネットワークビジネスの勧誘も。
ネットワークビジネスのイメージが更に悪くなるなぁ💦
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以前なら
個別メッセージで
『不快な想いをさせて申し訳ありませんでした』
と謝りました。
敵は増やしたくないからですね。
でもね、今はもう、何も答えずブロックしています。
何を言っても伝わらないからです。
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どうにもこうにも
『わたしは被害者だ!!』と言いたいことはある。
もちろん、僕にもあります。
しかし
その被害者意識のまま生きていても、道はひらかないのですよね💦
同じ、被害者意識の強い人とばかり仲良くなって、さらに運が落ちていく。
会ったこともない、自分が言われたわけでもない人に噛みつくなんて、道はまったくひらかない。
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僕は聖人でもなんでもないので、被害者意識が強い人を引き上げることはできません。
どこかで本気で『自分を変えたい』と思わなければ、同じような言葉に噛みついてばかりの人生です。
ブロックされたことで、後からでも気がついて欲しいと思います。
残りの人生、素晴らしいものでありますように…と祈りをこめて🍀