日々々常々々の糧

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もう啼いてくれない猫たちを忘れないための場所

キング・クリムゾン『新世代への啓示』
私の最初のクリムゾン。ネットもお金も無い時代、たいへん助かった。
ジュディ・ダイブルからフェアポート・コンヴェンションに行き、そこでサンディ・デニーを見つけるのはずっと後だ。

 

今日の1枚

 
King Crimson『A Young Person's Guide to King Crimson』
 
邦題『新世代への啓示』
 
キング・クリムゾンを語るうえで、まず『クリムゾン・キングの宮殿』から始めるのは当然だろう。
 
しかし、キング・クリムゾンという巨大な迷宮に初めて足を踏み入れる入口として、1976年発表の2枚組ベスト・アルバム『A Young Person's Guide to King Crimson』ほど絶妙な作品もない。
 
邦題は『新世代への啓示』。
 
このアルバムは、単なるヒット曲集ではない。
 
「A Personal Selection Compiled by Robert Fripp for EG Records」とクレジットされている通り、選曲を行ったのはロバート・フリップ自身。1974年の『Red』を最後にバンドを解散した後、過去の活動を自ら振り返って編んだ、極めて個人的な回顧録でもある。1976年の発売時点でクリムゾンはすでに活動を停止しており、その意味でもこの作品には一つの時代を総括するような性格があった。
 
そして、その選曲が実に面白い。
 
A面――最初の宮殿から、その先へ
 
A面は「Epitaph」で始まる。
 
『In the Court of the Crimson King』を代表する大曲であり、クリムゾンの初期を象徴する一曲だ。
 
続く「Cadence and Cascade」は『In the Wake of Poseidon』から。
 
そして『Islands』からは「Ladies of the Road」。
 
ここまで聴くと、それぞれのアルバムの代表曲を並べた普通のベスト盤のようにも思える。
 
ところが4曲目に、ジュディ・ダイブルが歌う「I Talk to the Wind」が置かれる。
 
これはクリムゾン結成以前、1968年に録音された極めて初期の音源で、Giles, Giles & Fripp時代に録音されたもの。後のクリムゾン版とは違う、フォーキーで柔らかな表情を持っている。
 
つまりA面だけで、
 
クリムゾン結成前
→『宮殿』
→『ポセイドン』
→『アイランズ』
 
という時間軸を、一気に遡ってしまう。
 
しかも、これが後のクリムゾン像を決めるような「21st Century Schizoid Man」ではない。
 
むしろ、クリムゾンのもう一つの可能性を見せている。
 
B面――いきなり『Red』
 
そしてB面。
 
「Red」。
 
続いて「Starless」。
 
これは強烈である。
 
デビュー作から始まったと思ったら、いきなり最後のスタジオ・アルバム『Red』まで飛んでしまう。
 
しかも「Red」と「Starless」は、クリムゾンの歴史を知ってから聴けば、まさに到達点のような二曲である。
 
しかし初めてこのベスト盤を買ったリスナーにとっては、まだ「クリムゾンというバンドが何なのか」すら完全には分からない。
 
にもかかわらず、この二曲を聴けば、とてつもないバンドであることだけは分かる。
 
この構成は巧い。
 
入口なのに、出口まで一瞬で見せてしまう。
 
ただし、本当に重要なのは、その「出口」から先にもまだ何かがあることだ。
 
C面――『Starless and Bible Black』と幻の音源
 
C面に入ると、「The Night Watch」「Book of Saturday」「Peace - A Theme」と『Starless and Bible Black』周辺の静的な側面が現れる。
 
そこから「Cat Food」。
 
さらに「Groon」。
 
ここが当時のレコードとしては非常に重要だった。
 
「Groon」は1970年の「Cat Food」のB面としてシングルで発表された曲で、アルバムには収録されていなかった。そのため、このベスト盤で初めて聴いたリスナーにとっては貴重な音源だった。
 
そして「Larks' Tongues in Aspic, Part I」は、なんとコーダ部分だけ。
 
ここまで来ると、フリップの選曲意図が見えてくる。
 
クリムゾンの代表曲を全部聴かせる気など、最初からない。
 
D面――そして『宮殿』へ戻る
 
D面は「Moonchild」の歌の部分、「Trio」、そして最後に「In the Court of the Crimson King」。
 
つまりアルバムは最後に『クリムゾン・キングの宮殿』へ戻ってくる。
 
これは単なる年代順ではない。
 
クリムゾンというバンドの歴史を一周して、最後にもう一度「宮殿」に戻ってくる。
 
しかも「Moonchild」はフル収録ではなく、その歌の部分だけ。
 
「Larks' Tongues in Aspic」もコーダだけ。
 
『Islands』からは「Ladies of the Road」だけ。
 
そして何より、「21st Century Schizoid Man」がない。
 
『Larks' Tongues in Aspic, Part II』もない。
 
つまり、このアルバムを聴き終わった時点で、クリムゾンのことをかなり知ったような気になるのに、実は核心部分が大量に残されている。
 
これはベスト盤としては非常に珍しい。
 
「満腹なのに、まだ食べていない」
 
このアルバムの最大の魅力は、ここにある。
 
初めて聴いたときには、2枚組という物理的なボリュームも含めて、圧倒的な満腹感がある。
 
「Epitaph」。
 
「Red」。
 
「Starless」。
 
「The Night Watch」。
 
「Cat Food」。
 
「Trio」。
 
「In the Court of the Crimson King」。
 
これだけ並べられれば、そりゃ満腹になる。
 
ところが、オリジナル・アルバムを実際に聴いてみると、
 
「21st Century Schizoid Manがある!」
 
「Larks' Tongues in Aspic Part IIがある!」
 
「『Islands』ってこんなアルバムだったのか!」
 
「『Lizard』はどこに行ったんだ?」
 
となる。
 
実際、この編集盤にはスタジオ・アルバムとしては『Lizard』の楽曲が一曲も収録されていない。
 
つまり『A Young Person's Guide』は、初心者を満足させながら、同時にオリジナル・アルバムへ誘導する仕掛けになっている。
 
これは非常に巧妙だ。
 
「ベスト盤」なのに、ベスト盤ではない
 
普通のベスト盤なら、そのアーティストの代表曲をできるだけ並べる。
 
しかしフリップは、そんなことをしていない。
 
むしろ、
 
「ここまでは見せる。でも、ここから先は自分で探せ」
 
という編集をしている。
 
だから、このアルバムは「キング・クリムゾンの全貌」ではない。
 
キング・クリムゾンという世界への予告編なのである。
 
しかも、ただの予告編ではない。
 
観客を十分満足させるほどの映像を見せながら、肝心の場面だけは見せない。
 
そのため、初めて聴いた人間は満腹になったにもかかわらず、結局オリジナル・アルバムを買うことになる。
 
プログレッシブ・ロックという、そもそもアルバム単位で聴くことを要求する音楽に対して、ベスト盤でありながら「アルバムを買わせる」設計になっているところも面白い。
 
レコードという形が、この作品には似合う
 
現在ではCDや配信で簡単に聴ける。
 
しかし、この作品の本来の姿はやはり2枚組LPだろう。
 
A面からB面へ、そして盤を裏返してC面、D面へ。
 
4つの面それぞれに異なるクリムゾンの顔があり、最後に「宮殿」へ戻ってくる。
 
さらにオリジナル盤には20ページのブックレットも付属し、フリップ自身の資料をもとにした写真や記録が収められていた。
 
つまりこれは音楽だけではなく、クリムゾンという存在そのものを一つのパッケージとして提示した作品だった。
 
1990年には日本限定で2CD化され、LPと同じ曲順が再現されたが、今回の基準となるのはあくまでこの2枚組LPである。
 
プログレの入口として
 
キング・クリムゾンは、初めて聴くには敷居が高い。
 
『クリムゾン・キングの宮殿』だけでもいい。
 
『Lizard』に行けばさらに難しくなる。
 
『Larks' Tongues in Aspic』ではもはや普通のロック・アルバムとは何なのか分からなくなる。
 
そんなバンドに対して、『A Young Person's Guide』は極めて優秀な入口だった。
 
ただし、それは「分かりやすくした」という意味ではない。
 
分からない部分を残したまま、面白さだけを最大限に提示した。
 
だから初心者は「クリムゾンって凄い」と思う。
 
そしてオリジナル・アルバムを聴き始めると、
 
「まだこんなものがあったのか」
 
と二度目の衝撃を受ける。
 
この二段構えこそが、このベスト盤の価値である。
 
キング・クリムゾンの歴史を知った現在から振り返れば、収録曲はほんの一部に過ぎない。
 
しかし、初めてこの2枚組LPを聴いたときの満腹感は、決して錯覚ではない。
 
それだけの濃度が、この15曲にはある。
 
そして聴き終えた人間を、満腹のまま次のアルバムへ送り出す。
 
『A Young Person's Guide to King Crimson』は、クリムゾンの「ベスト」ではなく、クリムゾンという巨大な世界への最も巧妙な入口の一つなのである。

『ハレはれナイト』
きどりっこはこれが先なのか後なのか解らないが、アルバムを何枚か買った。
サブスクには結局これしか来ていないけど、YouTubeには数多転がっていてゲップが出るぐらい聴ける。

 

今日の1枚

 
サエキけんぞう PRESENTS『ハレはれナイト』
 
1989年11月12日に発売された『ハレはれナイト』は、1980年代末の日本のニューウェーブ/テクノポップ/インディーズの一角を、かなり特殊な形で記録したオムニバスである。企画・プロデュースはパール兄弟のサエキけんぞう。参加者にはハイポジ、コンスタンスタワーズ、EXPO、戸川純、PHONOGENIX、ミンカパノピカ、SYZYGYS、クララ・サーカス、きどりっこ、東京タワーズなどが並ぶ。
 
一見すると、いわゆる「ニューウェーブのコンピレーション」に見える。
 
しかし、実際にはもう少し変わった位置にある。
 
サエキけんぞう自身の説明によれば、SYZYGYSの『Fauna Grotesque』に衝撃を受けたことが企画の大きなきっかけになり、そこからハイポジ、コンスタンスタワーズ、EXPO、クララ・サーカスなどを結びつけていったという。彼がこの一群に見出したのは、単純なテクノポップでもニューウェーブでもなく、「楽しげな狂気を秘めた音楽」や「無国籍音楽」という感覚だった。
 
ここが、このアルバムの性格をよく表している。
 
「ニューウェーブ」では括れない
 
冒頭から「カーマ・スートラで踊ろう/インド大話術団」である。
 
しかもインド大話術団はサエキけんぞうと加藤賢崇によるユニット。音楽だけでなく、アルバム中には「インド人との対話」と題された短いコント的なトラックも挿入されている。宮沢章夫が脚本を担当していることも、この作品を単純な音楽コンピレーションからずらしている。
 
そこへハイポジの「エヴァ エヴァ ペー」、コンスタンスタワーズの「クマゴロウ二号」、EXPOの「テクノロジーさん晩年の頓服」と続く。
 
楽曲の統一感は、普通の意味ではかなり薄い。
 
しかし、「妙なものが妙なまま存在している」という統一感は強烈にある。
 
このアルバムが面白いのは、各グループが「ニューウェーブらしい音楽」を競っているわけではないことだ。
 
むしろ、それぞれが勝手な方向へ行っている。
 
そして、その勝手さをサエキけんぞうが一つのアルバムとして成立させている。
 
そして「ベッドタウンの夜は更けて」
 
この中でも特に象徴的なのが、戸川純+インド大話術団による「ベッドタウンの夜は更けて」だろう。
 
戸川純という強烈な個性を持つ歌手を、ここでは通常の「戸川純作品」とは少し違う環境に置いている。
 
そのため、彼女の既存の作品とは違った表情が現れる。
 
これは「戸川純の新しい代表曲」というより、このコンピレーションそのものが持つ異質な空間に戸川純を放り込んだ結果として生まれた一曲と考えたほうが面白い。
 
そして、それがアルバム全体の性格にもよく合っている。
 
SYZYGYSが示すもの
 
もう一つ重要なのがSYZYGYS。
 
「A BAO A Qu」は、後に知られることになるSYZYGYSの特異な音楽性をよく示す曲で、このアルバムの企画そのものを生んだきっかけが彼らだったという点でも重要だ。
 
特に彼らの「43微分音オルガン」という異色の楽器・音律へのアプローチは、当時の一般的なテクノポップからもかなり離れている。
 
つまり『ハレはれナイト』は、単に「1980年代のテクノポップを集めました」という作品ではない。
 
ポスト・ニューウェーブの先に現れた、分類困難な音楽を拾い上げたアルバムなのである。
 
京浜兄弟社という地下水脈
 
さらに俯瞰すると、この作品には後の「京浜兄弟社」につながる人脈がかなり濃く流れ込んでいる。
 
ハイポジ、コンスタンスタワーズ、EXPO、SYZYGYS、もすけさん、クララ・サーカス、東京タワーズなどが同じアルバムに集まっている。
 
つまり『ハレはれナイト』は、個々のアーティストの代表作を並べたものではなく、
 
1980年代末の日本の地下音楽に存在していた「まだ名前のついていない一群」を一瞬だけ表舞台に出した作品
 
と見ることができる。
 
1989年という年も重要だ。
 
昭和から平成へ。
 
バンドブームの真っただ中。
 
メジャー側ではロックやポップスの巨大化が進む一方で、こうした小さな音楽集団も独自の進化を続けていた。
 
『ハレはれナイト』は、その二つの流れの境界付近にある。
 
『+7』になって、さらに面白くなった
 
2014年にはリマスターされ、ボーナストラックを加えた『ハレはれナイト+7』として再発された。
 
ここでは「Fauna Grotesque/SYZYGYS」「comodita/EXPO」「家族旅行~ライヴ・バージョン/もすけさん」など、オリジナル盤とは別の角度からこの世界を補強する音源が加えられている。
 
特にSYZYGYSの「Fauna Grotesque」が入ったことで、サエキけんぞうがこの企画に感じていた衝撃の一端まで聴ける構成になった。
 
これは再発ボーナスとしてかなり意味がある。
 
そして現在、これがストリーミングで聴ける。
 
かつてはこの手の作品を聴くには、中古CDを探すか、誰かのコレクションを頼るしかなかった。
 
それが今ではアルバム単位でアクセスできる。
 
これはかなり大きい。
 
「発掘」というより、地下水脈の標本
 
『ハレはれナイト』を現在聴くと、1980年代末のニューウェーブを懐かしむアルバムというより、日本のポップ音楽史の本流から少し外れたところで進行していた実験の標本として聴くほうが面白い。
 
ここには後世の「渋谷系」やテクノ、エレクトロニカ、アヴァンギャルド・ポップなどにつながっていく感覚の萌芽もある。
 
しかし、この時点ではまだ、それぞれが何になるのか分からない。
 
だからこそ面白い。
 
完成されたジャンルを聴くのではなく、ジャンルが生まれる前の状態を聴いているからだ。
 
『We Wish You A Merry Christmas』が1983年のYEN周辺という、比較的メジャーな先端ポップの一断面を保存した作品だとすれば、『ハレはれナイト』はその数年後、さらに地下へ降りたところにある。
 
同じ「オムニバス」でも、見えている景色はまったく違う。
 
そして、このアルバムの価値は「懐かしい」ことではない。
 
1989年の日本には、まだこんなにも名前をつけにくく、しかし確実に面白い音楽が存在していた。
 
そのことを、ボーナス音源まで含めた『ハレはれナイト』は、今になってかなり鮮明に教えてくれる。
 
これは一枚の名盤というより、一つの時代の地下水脈を覗き込むための標本箱である。

私はまた、幽霊になったようだ。
少し体を動かそう。