キング・クリムゾン『ディシプリン』
1984年の簡易保険ホール公演がオフィシャルから出ていて、改めて見てえげつない演奏力で。
プログレッシブという字義からしたら、これがいちばんプログレッシブだったかも。

キング・クリムゾン『Discipline』
キング・クリムゾンは、同じバンド名でありながら、作品ごとに別の生き物へ変化してきた。
その中でも『Discipline』ほど大胆に姿を変えたアルバムはないだろう。
1974年の『Red』から7年。クリムゾンは長い沈黙を経て、1981年に再始動した。ロバート・フリップとビル・ブラッフォードは残ったものの、そこへアメリカ人のエイドリアン・ブリューとトニー・レヴィンが加わった。最初は「Discipline」という新しいバンドとして始動する予定だったが、最終的にクリムゾンの名を復活させることになった。("allmusic.com" (https://www.allmusic.com/album/discipline-mw0000196148?utm_source=chatgpt.com))
この4人が作った音楽は、70年代のクリムゾンを知る者にとって、かなり衝撃的だったはずだ。
メロトロンの荘厳さもない。
ジョン・ウェットンのような巨大な声もない。
『Red』の重量感をそのまま引き継いだわけでもない。
代わりにあるのは、二本のギターが互いに絡み合い、ベースとドラムが複雑なリズムを組み上げていく、異様に精密な音楽である。
特に「Frame by Frame」は、その新しいクリムゾンを象徴する。
フリップとブリューのギターは、リードと伴奏という普通の役割分担をしない。同じようなフレーズが少しずつずれ、重なり、離れ、また戻ってくる。ガムランやミニマル・ミュージックを思わせる構造を、ロックの音圧で鳴らしてしまう。("allaboutjazz.com" (https://www.allaboutjazz.com/king-crimson-discipline-40th-anniversary-series-by-john-kelman?utm_source=chatgpt.com))
そして、この音楽の下半身を支えているのがトニー・レヴィンのチャップマン・スティックとブラッフォードのドラムだ。
ベースが単なる低音担当ではなく、ギターと対等にメロディとリズムを作っている。そのため、4人の演奏が一つの巨大な機械のように動き始める。
しかし、その機械には妙に人間的なところもある。
エイドリアン・ブリューだ。
奇妙な声、奇妙なギター音、そして「Elephant Talk」のふざけたような言葉遊び。「Indiscipline」では、ほとんど狂気じみた語りと演奏がぶつかり合う。
ここが70年代クリムゾンとは決定的に違う。
『Red』のクリムゾンには、巨大な運命に立ち向かうような悲壮感があった。
『Discipline』には、世界そのものを分解して、別の組み立て方を試しているような知性と遊び心がある。
そして、この変化にはニューウェーブの影響も明らかにある。ブリューはフランク・ザッパやデヴィッド・ボウイを経てトーキング・ヘッズにも参加しており、その経験が新生クリムゾンに持ち込まれた。実際、「Thela Hun Ginjeet」などには、当時のニューウェーブやファンクに通じる感覚がある。("allmusic.com" (https://www.allmusic.com/album/discipline-mw0000196148?utm_source=chatgpt.com))
だから、以前ここで取り上げたトーキング・ヘッズ『Remain in Light』から『Discipline』へ進むと、非常に分かりやすい。
「地続き」なのだ。
しかも面白いことに、『Remain in Light』でギターを弾いていたブリューが、今度はクリムゾンの内部に入っている。
『Discipline』は、プログレがニューウェーブに敗北したアルバムではない。
プログレがニューウェーブを食べてしまったアルバムなのだ。
「The Sheltering Sky」の広大な音響空間から、「Indiscipline」の暴走、「Discipline」の精密な反復まで、どの曲も従来の「プログレッシブ・ロック」という枠から少しずつはみ出している。
それでも、聴けばすぐにクリムゾンだと分かる。
そこが凄い。
『Red』を聴いたあとに『Discipline』を聴くと、同じバンドとは思えない。
しかし、逆に考えれば、ここまで変わってもクリムゾンであり続けたことこそ、キング・クリムゾンというバンドの本質なのだろう。
1981年という時代に、70年代プログレの残骸を守るのではなく、新しい音楽の方法論を取り込んでしまった。
そして今、1984年の東京公演を映像で見返すと、その音楽が単なるスタジオ上の実験ではなかったことがよく分かる。
4人がステージ上で、あの複雑極まりない音楽を生き物のように動かしている。
……やっぱり、すげえなー、こいつら。
『Red』のクリムゾンが「重量」なら、『Discipline』のクリムゾンは「運動」だ。
そして、その運動は今聴いても古びていない。

