前回の記事で、本格的な悲嘆は喪失後、1年が経った頃にやってきたことを記した。

その1ヶ月前くらいに、妙にテンションが高くて、スキップしそうなほどに高揚感に包まれた時期があった。

その後、今まで感じたことがないような落ち込み、抑うつ気分が襲ってきた。

知り合いに連絡して、飲みに誘ったり調整してもらったり、カウンセリングに行きだしたのもこの頃である。

自分でも「ヤバさ」を感じはじめていたのかもしれない。

この頃は人とは、普通に会って会話もできていた。
(しばらくすると、こんな普通なこともできなくなる。)

そして、喪失を体験した年のクリスマスの日、大切な人を失ってから初めて涙がこぼれた。
涙と言っても、「泣く」や「号泣」とは別次元の涙である。
それは、何時間も止まることなく、延々と流れ続けた。

最初の涙をきっかけに、街中や電車の中など、場所に関係なく突然涙が溢れ、何時間も止まることなく流れ続けた。

泣いた後、再び高揚感に包まれることもあったけれど、それは、その後に来るより深い悲しみと絶望の前振りでしかなかった。

頭が次第にぼーっとしてきて、自殺念慮も出はじめた。

耐えがたいのは心の内だけではなかった。
夫婦やカップル、家族の姿を目にしただけで、耐えがたいようなパニックに襲われるようになった。

頭の中を虫が這いずり回っているような感覚に近かった。
立っていても、しゃがんでも、横になっても、頭の中を這いずり回る虫の感覚から逃れることができなかった。
いっそのこと、自分の頭を何かで吹き飛ばしたい!、そんなことすら真剣に考えていた。

高揚感が戻らず、1ヶ月くらい、激しい抑うつが続くこともあった。

飲酒量は尋常ではなかった。

既に、人とまともに会話することも仕事もできるような状態ではなかった。

僕の方も、大人として、社会人として、マトモで普通な振る舞いなど、どうでもよくなっていた。

夜中に奇声をあげたり、血みどろになるまで物を壊しまくったり、アルコール中毒で病院に運ばれることもあった。

もう、マトモではなかった。
本当に死のう、と本気で考えた。

周りの人たちもどうしてよいか分からず、知らないふりをするか無視するか、おおかた、そんなところだった。

強い自殺念慮と共に、周囲に対する激しい怒りも、同時に抱くようになった。

友人知人は、一人また一人と去ってゆき、次第に周りには誰もいなくなっていた。

食欲もなく、睡眠もとれず、痩せ細りやつれていった。
それでも、何とか死なずに生きていた。
たぶん、ちょっとしたきっかけがあれば、自殺していただろう。
幸か不幸か、そんな小さなきっかけがないまま、時間は過ぎていった。

その後も、高揚感と抑うつが交互に襲ってきた。
何度も何度も、何ヵ月も何年も続いた。

僕は、辛いとか良くなったとか、そんな気持ちすら自分で信じなくなった。
今、楽しく感じているのも偽りのもの、心が耐えきれないから少し良い感覚を無意識が見せているだけ・・・

その予想は外れたことはなく、アップになってもしばらくすると、再び激しい悲しみと絶望、抑うつ感に襲われた。

そんなことを何年にも渡って繰り返す中、僕は次第に、性格そのものも変わっていった。
趣味嗜好すら変化していった。

「僕って、ずいぶん遠くに来てしまったような感じがする・・・」

喪失から3~4年した頃から、日々そんか感覚を抱くようになった。

僕は、もともとの自分から、どんどん遠ざかっていた。

それは、今も続いている・・・