自分とはいったい何者なのか?
自分は誰なのか?
何を望んでいるのか?
何を目指すべきか?

10代に誰もが体験する自己のゆらぎ

青春のゆらぎの時代を経て、人は、学生から社会人になり、恋をし、結婚して、生まれ育った家族以外の家族を自らが築き上げてゆく・・・

その過程で、いつの間にか、「自分とはいったい何者なのか?」という問いをしなくなる

それは、自分の自我が確立した故に、問う必要もない当たり前のものになった・・・

普通はそう思うであろう

しかし、大切な人、愛する人を失い、深い悲しみにくれる者は、それが幻想であることに気づく

あの人に出会えたから、あの人と家族になれたから、私は私でいられた・・・

それに気づいてしまう

自我やアイデンティティーといったものが、実は、自分の中にあるのではなく、様々な人との関わりの中で、映し出されていたものが自我やアイデンティティーであったこと気づいてしまう

愛する人を失って自分を保てなくなって、はじめて気づく

自分が自分でいられたのは、大切な人に囲まれていたからだって、あの人がいたからだって、あの人を愛してたからだって、それに気づく・・・

愛する人と大切な人たちのいる、私が還れる場所・ファミリー
安らぎと希望の源だったファミリー

失ってはじめて知るファミリーの意味
自分のカタチを創っていた存在
世の中の様々な理不尽さから私を守ってくれていた存在

夢や希望、明日のことを考えられるのもファミリーがあったから
私の全ての源がファミリーだった

自分が自分でいられた場、ファミリー
自分が自分でいるために必要な場・ファミリー
自分の自我、アイデンティティーの内側と外を隔てる境界・ファミリーバウンダリー

私にとってなくてはならないもの・ファミリーバウンダリー

でも、愛する人を失って、ファミリーはそれまでの姿を跡形もなく変えてしまった・・・

私が私でいられた、私を形づくっていた自我の境界・ファミリーバウンダリー

愛する人を失い、私を保っていたバウンダリーも失われる

溶けだす自分
自分が自分でなくなる
自分が自分であることが当たり前ではなくなった

失われる自分

自分とはいったい何者なのか?
自分は誰なのか?
何を望んでいるのか?
何を目指すべきか?

忘れていた青春のゆらぎ
意識の外に追いやっていた、青春の問い

愛する人を失って、再び問う

私は、本当に、いったい何者なのだろうか・・・

夢の中でしか会えないあの人
愛する人のいない世界で、私は本当に自分を保てるようになるのだろうか・・・




もう、こんなこと止めて、死んじゃったなんてのは止めて、いつものように一緒にいようよ、もう、隠れんぼなんて止めて・・・
今まで通り、楽しくやればいいのに!

本当にもう止めよう、死んじゃったなんてウソ
いなくなったなんてウソでしょ!?

帰ってきて!

私が溶けてなくなる前に

帰ってきて!