スピリチュアル・ペイン
~理不尽で暴力的で破壊的な世界における魂の痛み

深い悲しみや怒り、孤独や疎外感、絶望は、愛する人や大切な人を死によって失った時にわき起こる心の動きです。

「グリーフ(悲嘆)」と呼ばれるものは、心のみならず、身体的な不調や社会的な不適応も引き起こします。

グリーフは、大切な人との死別に限らず、離婚や離別、行方不明や失踪、認知症や依存症などによって自分が愛した人ではなくなる、そんな場合でも起こります。

一方で、大切な人を失う場合以外でも、グリーフを起こすことが知られています。
例えば、自分自身の死が間近に迫っている、とか、身体の一部を失う、視力を失う、2度と元に戻らないような障害を負ってしまう、不治の病を患ってしまう、このような時も、グリーフ反応を起こします。

形は違っても、新しい環境に適応することが課題ということも同じです。
大切な人を失う、命を失う、健康を失う等は、これまでの日常を失う、2度と元の生活には戻れない、といった点では似ています。

これらは全て含めて、「対象喪失」と言います。

対象喪失は、常に理不尽で暴力的で破壊的です。

一般的には、その人が幸せなのは人柄がよく努力してきたからだ、とか、良い友人たちに囲まれて過ごせるのは面倒見が良かったからだ、とか、仲慎ましいのは慈愛に満ちた人だから、等と思うでしょう。

幸せの背景には愛や優しさが、不幸の背景には悪しき原因があると、人は信じています。

しかし、現実は違います。

正しい行いをし、皆に好かれている人が重大な病気にかかったり、場合によっては、恐怖と絶望の中で殺されてしまうことだってあるでしょう。
反対に、粗暴な人が案外、良い人生を送ることだってあります。

この世界は実際は、常に理不尽で暴力的で破壊的なのです。

私たちは生まれた直後から、結果を産むものが、自分自身の行為であることを、常に学びながら成長します。
それは、成長のプロセスに刻み込まれた生来的なものです。

対象喪失は、乳幼児の頃から身体に刻み付けてきた、この因果律を根元的に破壊します。

もちろん、人は、そのような理不尽で暴力的で破壊的な現実を受け入れることはできません。
できなくて当たり前です。

不幸にも対象喪失を体験してしまった人は、なぜ?、どうして?、何のために?・・・、叫びをあげながら、何度も自問自答を繰り返すことでしょう。
どんなに叫んでも、答えは得られません。
気が狂いそうになるくらい、辛く苦しい叫びです。

これが、「スピリチュアル・ペイン(魂の痛み)」と呼ばれるものです。

スピリチュアルとは、現在では、精神世界や心霊と結びつけられて語られていますが、本来のスピリチュアルとは、心や精神といったものとは別次元の概念です。

古来より人間は、頭で否定しようとしても紛れもなくこの世界に存在している、理不尽で暴力的で破壊的な因果の彼方について、思い悩んできました。
その営みが、数々の宗教を産み出しました。

現代社会は、近代に入って一時的に、この非因果律に逆らおうと努力してきました。
結果、人類は、今私たちが見ているような目覚ましく発展した文明を築き上げました。

しかし、人が人である以上、この本来の世界、現実の世界、真実の世界から、離れることはできません。

スピリチュアル・ペイン

人が人であり続ける限り、この「痛み」から逃れることはできません・・・