最愛の人との死別から立ち直るまで

最愛の人との死別から立ち直るまで

長年連れ添った妻と死別してから立ち直るまでの軌跡を記してみたいと思います。

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最初に行ったカウンセリングルームでダメージを受けた私は、妻との死別のつらさ、苦しさだけでなく、そのカウンセラーに対する怒りまで抱くようになり、さらに苦しくなりました。

 

その頃の私は、仕事場でも全く集中できず、時には周りの人にきつく当たることもあり、大変迷惑をかけてしまいました。

それにもかかわらず、仕事場の仲間たちは文句ひとつ言わずに見守ってくれます。

 

そんな仲間たちに申し訳ないという思いが強くなるばかり・・・

その思いがさらに自分を苦しめるといった負のスパイラル。

 

何とかしてこの状況から脱しなければとは思うものの、全く気力が湧いてこない自分が情けなく思いました。

 

こんなことなら、この仕事を辞めてしまおうか・・・

でも、仕事を辞めたら、またずっと一人で引きこもる生活に戻ってしまう。

 

その生活を想像するだけで恐ろしくなりました。

 

このままではダメだ。

仕事場の仲間が教えてくれた別のカウンセリングルームに行くことにしよう。

それでダメなら、この先の人生を諦めよう。

 

数週間悩んだ末、そんな思いでそのカウンセリングルームに予約を入れました。

 

カウンセリングルームの場所は、私の自宅や仕事場からは離れている文京区。

 

文京区という場所は、東京ドームや病院へ行ったことがある程度でほとんど馴染みがありませんでした。

今思うと、逆に馴染みが無い場所だから、妻との思い出が甦ってきたりすることもなく、良かったのかもしれません。

 

馴れない場所に少し迷いながらそのカウンセリングルームに着くと、男性のカウンセラーが迎えてくれました。

最初に行ったカウンセリングルームでダメージを受けていたせいか、かなり緊張していたように見えたのでしょう。

そのカウンセラーは、私の緊張を解きほぐすような声かけをしてくれました。

 

具体的に何を言われたのかは、はっきり覚えていません。

でも、確実に緊張がゆるんだのは間違いありません。

 

特別に優しい雰囲気があるとか、特別なことを言われたというわけではないです。

それなのに、不思議とこの人なら信頼できるような安心感がありました。

 

最初に行ったカウンセリングルームでダメージを受けていたので不安でいっぱいだったのですが、そんな不安はあっという間に小さくなりました。

 

カウンセラーからカウンセリングの進め方について説明があった後、カウンセリングが始まりました。

 

堰を切ったように、自分でも不思議なくらいよく話しました。

自分はこんなに話せるんだなと思うとともに、誰かに話したい気持ちがこんなに強かったんだなと思いました。

 

私の話はあっちへ飛び、こっちへ飛びといった感じで、支離滅裂だったことでしょう。

話しているうちに色んな感情が溢れてきます。

時には涙を流したり・・・

 

そんな私の話をカウンセラーはただ聞き流すだけでなく、私の気持ちを確認しながら聞いてくれます。

なので、聞いてもらえているという実感がありましたし、自分の気持ちを確かめながら話せたように思います。

 

この人なら何を話しても受けとめてもらえる。

何も飾らないでそのままの自分でいることを許される。

そんな感じがしました。

 

この感覚は、最初に行ったカウンセリングルームではもちろん、以前の勤め先の相談室でも味わったことがありません。

これこそが死別カウンセリング(グリーフケア)というものなのでしょう。

 

60分のカウンセリングの中で、気持ちがだいぶ整理され、少しずつ落ち着きを取り戻してきている自分がいることを実感できました。

 

ここでカウンセリングを続けていけば、本来の自分を取り戻せるかも・・・

そんな希望が湧いてきました。

 

その日の晩は、久しぶりに食事を味わって食べられ、ゆっくり眠ることができました。

 

自分は確かに生きている・・・

 

そんな実感を得られた日でした。

 

結論からいうと、タイトルを見ての通り、最初のカウンセリングルームは途中で行くのをやめました。

行ったのは2回だけ。

 

「仕事場からすぐ近い」という理由だけで行ったのが、良くなかったのです。

 

最初に行ったカウンセリングルームは女性のカウンセラーで、ホームページには自分も死別の経験があり、死別カウンセリング(グリーフケア)についいては経験豊富だと書いてありました。

 

そのカウンセリングルームに行くと、その女性カウンセラーが迎えてくれて、ちょっと薄暗いアロマの香りが漂う部屋に案内されました。

 

会社勤めだった時には、会社内に設置されていた相談室のカウンセリングを受けたことがあります。

なので、会社の相談室と同じように、死別カウンセリング(グリーフケア)というのも、まずは自分のことを自由に話すことができるものだと思っていました。

 

しかし、そこのカウンセリングルームは違ったのです。

 

最初に、問診票に、「いつ、誰が、なにで(病気か事故か)亡くなり、今の自分がどういう状態なのか」といったようなことを事細かく書くように言われました。

それだけで結構な時間がかかりました(その時間も面接時間に含まれています)。

 

そして、カウンセラーがその問診票を受け取ると、問診票の内容について質問をしながらこちらの話を聞いていきます。

カウンセラーが主導して、こちらが話していく感じで進むので、会社の相談室とは違いました。

 

私としては、事前に色々話したいことを考えていたので、もっと話したいことがありました。

しかし、死別カウンセリング(グリーフケア)というのはこんなものなのだろうと思って、1回目はそのまま帰りました。

 

1週間後に2回目のカウンセリングです。

 

その女性カウンセラーは、「前回のお話を伺って・・・」と話し出すと、説明というか彼女の解釈を話し始めました。

 

どれも勝手な解釈というか、勝手な同情というか、思い込みというか、こちらが思ってもいないことを「あなたはきっとそう思っているはず」といった感じで押し付けてきて、同情してくる感じです。

 

私が否定しても、「そうなの? でもね」といった感じで彼女の勝手な解釈を押し付けてきて、彼女は勝手に同情に浸ります。

それを聞いていて、私はつらく虚しくなってきて、涙が出てきました。

 

私の涙を見ると、追い打ちをかけるようにその女性カウンセラーは涙の意味を勝手に解釈して、同情してきます。

またも全く的外れの解釈、同情です。

 

だんだん吐き気がしてきました。

その場にいることが苦しくてしかたなかったです。

 

「気持ち悪くなったので帰っていいですか?」と言って、途中でお金を払って帰りました。

 

「気分が良くなったら、また予約してくださいね」という言葉を背中で受けながら帰ったのを、今でも思い出します。

心の中では「気分を悪くしたのは誰だ!二度と来るものか!」と思いながら。

 

本当にひどいカウンセリングルームでした。

検索すると今でもやっているみたいですが、名前を出すと営業妨害になるのでやめておきます。

 

カウンセリングを受けることを勧めてくれた仕事場の仲間にこの出来事を話すと、「それはひどい目に遭ったね」と言ってくれました。

そして、その仲間は、「私の親友が通っていたカウンセリングルームは、グリーフケアも専門にしているから行ってみたら?」と、別のカウンセリングルームを教えてくれました。

 

しかし、最初のカウンセリングルームでかなりのダメージを受けた私は、すぐにそのカウンセリングルームへ行く気になりませんでした。

当然と言えば当然のことです。

 

妻との別れはあっという間であったため、私の心は全く整理することができない状態でした。

 

病院の霊安室で、ただ眠っているだけのような、まるで生きているかのような妻。

目の前にある妻の死という現実を、一体どうやって受け入れたらいいのか・・・

 

「ずっと一緒で楽しかったよ」という妻の最期の言葉を思い出し、涙が溢れてくる。

妻と一緒に過ごした日々を思い出して、涙が溢れてくる。

 

葬儀屋との打ち合わせの時も、ふとしたことで涙が溢れてくる。

自宅に戻り、安置してある遺体の前でも、涙が溢れてくる。

 

このまま葬儀を執り行うことができるのか。

喪主としての務めどころか、葬儀に出ることすらできないのではないか。

 

ただただ涙が溢れるばかりで、どうすることもできませんでした。

 

親族などの助けもあり、なんとか葬儀を執り行うことができましたが、喪主の挨拶も何を話したのか全く記憶がありません。

 

火葬場で荼毘に付され、小さくなった妻。

ずっと一緒にいた妻が、こんなに小さくなってしまったのか。

 

「ずっと一緒で楽しかったよ」という言葉が、頭の中をめぐる。

また涙が溢れてくる・・・

 

そんな感じで、何が何だか分からないまま、葬儀が終わりました。

 

葬儀が終わると、すでに会社を辞めていたので、ボーッと過ごす毎日。

骨壺の前で起臥寝食する毎日。

 

会社勤めを続けていれば、日々の生活の中で気が紛れたのかもしれません。

家からほとんど出ず、誰とも話すことなく、ずっと骨壺の前で生活する。

葬儀が終わってから、しばらくそんな生活を続けていました。

 

四十九日法要が近づき、その準備を進める中で、妻が死んだという現実を多少受け入れられるようになってきました。

でも、ふとしたことで涙が溢れてくる状態は変わりありません。

 

四十九日法要当日、迎えに来た親族とともに、ボーッとした状態で骨壺を抱えてお寺に向かいました。

お寺でどう過ごしたのか、何を話したのか、全く覚えていません。

 

ただ思い出すのは、納骨で骨壺が墓の下に入っていく様子を眺めながら、もう骨壺の前で起臥寝食することはなくなるのだな、と思っていたことくらいです。

 

この法要当日は、涙が出ることもなく、感情が無くなってしまったような不思議な感じでした。

 

完全に無になったような、抜け殻になったような状態で法要から帰宅。

着替えもせずに座り込んでいたところ、電話がかかってきました。

私たち夫婦が関わっていたボランティア団体の仲間からでした。

 

葬儀での私の様子を見て、心配していたとのこと。

無職の私に、「気が紛れるから」と団体の事務の仕事をやらないかと声をかけてくれました。

やる気は全くなかったですが、断る気力もなく、そのまま何となく週3日事務をやることに。

 

私の事情を知っているボランティア団体のメンバーは皆、変に同情することもなく、また、腫れ物に触るような感じでもなく、自然と受け入れてくれました。

 

今思うと、この声かけが無ければ、ずっと家に引きこもったままで廃人になっていたことでしょう。

本当に助けられました。

 

ただ、妻と一緒にボランティア活動していた団体だったこともあり、ふとしたことで妻のことを思い出して涙が溢れてくることがよくありました。

 

そういう時には、周りに心配をかけてはいけないと思ってトイレに行き、少し落ち着くまでトイレの個室にいるということの繰り返し。

 

仕事のない日など一人で家にいる時は、改めて一人になってしまったことを痛感し、激しい寂しさと悲しさが襲ってきて、夜も眠れない。

「子供がいれば違ったんだろうな・・・」と、子供が出来なかったことを悔やんだことも。

 

「ずっと一緒で楽しかったよ」という最期の言葉。

一緒に思い出を作ってきた人がいなくなってしまった・・・

自分の一部を失ってしまったような感覚。

 

この先ずっと妻のいない人生が続くのかと思うと、これから生きていく意味も目標も見出すことができない。

 

半年過ぎてもそんな状態が続き、見かねた仕事場の仲間からカウンセリングを受けることを勧められました。

死別カウンセリング(グリーフケア)というものがあることをこの時に初めて知り、検索して仕事場に近いカウンセリングルームへ行くことにしました。

 

カウンセリングを受けるにあたって、何を話そうかと色々考えました。

今振り返ると、カウンセリングを受ける前に、カウンセラーに何を話そうかと考える過程がとても大切なんだなと思います。

 

まず、私は妻との出会いから結婚、そして、死別に至るまでを時系列に沿って思い出し、整理することから始めました。

 

そもそもの出会いは学生時代。

子供を対象としたボランティア活動で知り合いました。

 

お互い子供好きで、どうしたら子供たちが楽しく遊べるかなど話す中で惹かれ合い、付き合い始めたという感じです。

 

その後、私は玩具メーカーに、妻は幼児教育関連企業に就職しました。

子供好きからお互い子供に関する仕事に就いたわけです。

 

就職して3年目で結婚。

お互い子供好きだったので、早く子供が欲しいと思っていました。

 

しかし、1年以上経っても子供ができず、病院で調べてもらったら、私の精子も妻の卵子も子供が出来づらいことが判明。

子供好きの私たちにとっては、大変なショックでした。

 

長期間、不妊治療もしましたが、成果が出ずに諦めることに・・・

 

共に仕事で子供たちと触れ合う機会が多かったので、「こんなかわいい子供たちを授かることができないんだ」と思うことが多く、とてもつらかったことを思い出します。

 

でも、多くの子供たちと触れ合う中で、「自分たちは子供を授かることはできなくても、他の人よりも多く子供たちの笑顔に出会える環境にいる」ということに私たち夫婦は気づくことができ、次第に自分たちの置かれた環境に感謝する気持ちが増してきました。

 

そして、それ以降、仕事以外にも休日は子供に関するボランティアに夫婦で参加したりして、ずっと子供漬けの毎日を過ごしてきました。

 

そんな充実した日々を夫婦で15年ほど過ごしてきましたが、40代に入って間もなく、妻の体に異変が表れたのです。

 

急に食欲がなくなり、上腹部痛を訴えたのです。

最初は近所のクリニックに行き、問診だけで逆流性食道炎ではないかと言われて、薬だけもらって帰りました。

 

しかし、1週間経っても良くならず、総合病院へ行って詳しく検査したところ、膵臓癌であることが判明。

 

しかも、かなり進行した状態。

手術もできないとのこと・・・

 

長年連れ添った妻なので、病状を伏せても私の表情からすぐに分かるだろうし、妻もそれを望まないと思ったので、医師に告知をお願いしました。

 

妻も薄々気づいていたようで、冷静に医師の話を聞いていました。

子供を授かることができなかった時もそうでしたが、妻は自分の置かれたどんな状況であれ、前向きに捉えようとします。

 

病院の帰り道、残された時間を何をして過ごしたいのか、ずっと話続けていた姿を今でも鮮明に思い出します。

 

妻は療養に専念するためと言って会社を退職し、以前から続けていた子供に関するボランティア活動に毎日行くようになりました。

彼女にとっては、それが生き甲斐だったのです。

 

私も会社を退職し、その妻の活動をサポートしました。

共働きで子供がいなかったこともあり、それなりに貯蓄があったからこそできたことです。

 

妻は毎日楽しそうに活動し、夫婦で一番充実した時間を過ごせたと思います。

 

しかし、そんな生活も長くは続きませんでした。

 

病気が判明してから3か月。

体の痛みが激しくなり、入院することに・・・

その時には、あちこちに転移していて、手の施しようのない状態でした。

 

入院して半月。妻はあっという間に逝ってしまいました。

妻が闘病で長く苦しむことがなくて良かったと思う反面、あまりに急にいなくなってしまったことで、私は心の整理が全くつかない状態です。

 

妻の最期の言葉は、亡くなる3日前に発した「ずっと一緒で楽しかったよ」でした。

意識が朦朧とする中で発したその言葉は、ずっと私の中に残っています。

大切な人を亡くして、つらく悲しい気持ちが続くことは自然なことです。

これは悲嘆(グリーフ)といわれています。

 

しかし、それが長い間、激しく続いて、日常生活に支障を来すことがあります。

 

例えば、大切な人の死を受け入れられない。

 

いつまで経ってもその人のことが頭から離れない。

 

その人がいない人生に意味がないと思う。

 

日常生活が混乱する、周りの人との人間関係が崩れるなど・・・

 

こういった悲嘆反応が通常6か月以上続き(1年以上という説もあり)、社会生活や日常生活に影響を及ぼしている状態を、複雑性悲嘆といいます。

 

私は葬儀が終わり、そして、49日が過ぎても、いつも頭から妻のことが離れず、日常においてふとしたことで涙があふれてしまっていました。

 

この先ずっと妻のいない人生が続くのかと思うと、この先の自分の人生に意味を見出すことが全くできない・・・。

 

いつも激しい寂しさと悲しさに苦しめられ、夜も眠れない。

 

そんな状態が半年以上続き、あまりにつらすぎるので、カウンセリングを受けることにしました。

 

カウンセリングは、以前会社勤めをしていた時に社内に設置されていた相談室で経験していたので、抵抗はありませんでした。

 

ですが、妻を亡くした時はすでに会社勤めではなくなっていたので、まずはカウンセラー探しから始めなければなりませんでした。

 

検索すると、東京にはカウンセリングルームがたくさんあります。

 

死別(グリーフケア)を専門としているカウンセリングを絞り込んでも、結構な数があります。

 

その中で、仕事場に近いカウンセリングルームがあったので、そこへ行くことにしました。

 

海老蔵さんのブログを見て、同じように最愛の妻と死別した私の今までの軌跡を書こうという気持ちになりました。

 

私が妻を亡くしたのは、一昨年4月。

 

その事実を受け入れられず、苦しい状態が長く続きました。


複雑性悲嘆

 

私は、この「複雑性悲嘆」という状態に陥っていたのです。

 

その状態から抜け出したい私は、カウンセリングを受けることにしました。

 

カウンセリングを受けることで、今、どうにか妻の死を自分なりに受け入れることができ、立ち直ることができたと思います。

 

そんな軌跡を綴ることで、同じように最愛の人と死別され、辛い思いをされている方々と思いを共有し、多少なりとも力になれたらと思っています。

 

これから時間を見つけては、少しずつ書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。