不幸語り第2話です。逃げた先に希望があるとは限らない、と子供の自分が知った時期でした。

 

 

〇祖父からの暴力

母親に連れられて京都を脱し、生活再建のために私たちは関東のとある市に住む祖父母の家で生活を再開しました。

祖父母の収入を当てにして生活できるはずもないため、母親は仕事を関東でも始めました。結果、私と兄は祖父母と過ごす時間が多くなりました。

 

遠い土地で生まれ育った私は引っ越してきて初めて知りましたが、祖父は癇癪持ちで酒癖の悪い人でした。母親が幼い頃から粗暴な態度を家族に取っていたようで、その性格は時間が経っても直っていなかったようです。

孫である私と兄に対しても祖父の凶暴性は発揮され、機嫌が悪い日は殴る蹴るの暴力を振るわれていました。事あるごとに理不尽にキレては「何様なんだ」などと孫に対して威圧的に怒鳴り、子供の自分が床を転がるような蹴りを食らわせる。

住む場所を提供されている身とはいえ、まだ10歳にも満たない私を威圧し暴行するこの祖父がマトモな人間ではないことなど分かりきったことでした。

しかし、遠い土地から転がり込んできた身の自分たち兄弟には他に逃げる場所などないこと、もし逆らって唯一助けを求められる母親まで攻撃されるようなことになってしまえば取り返しがつかないこと、そして幼い自分たち兄弟がまだ若い大人の男である祖父に逆らって勝てるはずなどないことは明らかでした。結果、助けを求めることもできないまま祖父からの威圧や暴行に耐える日々は小学校に在学している数年間続きました。

 

ちなみに私が成人してからでしたが、祖父は大病を患って相当に苦しんで亡くなりました。病に苦しみながら死の間際には「すまなかった」などと私に言っていましたが、植え付けられたトラウマと痛みを私はそれまで一切忘れることはありませんでしたし、祖父への許しの言葉が私の口から出ることはありませんでした。

祖父が亡くなっても、私からは涙の一粒も流れることはありませんでした。世間体もあり表面上悲しんでいる風にしていても、内心では苦しかった幼少期を思い出して怒りや憎しみを抱くだけでした。

 

 

〇父親との離婚

私が小学校にいるうちに、離婚が成立して父親と私は縁を切りました。ごく少額ですが養育費を支払う約束になっていたそうですが、大人になって知った話だと元父親はまともに養育費を支払わなかったそうです。どうせ自分の趣味と浮気相手につぎ込んだのだろうなと察しはつきますが、今では縁を切った相手ですし考えるだけでも反吐が出るので考えるだけ無価値でしょう。

 

生まれてからずっと元父親の姓を名乗ってきた私は、小学校の半ばで人生初の改姓を経験しました。学年の途中で改姓したのですが、担任が配慮してくれたのか、クラスメイト達が気をつかってくれていたのか、それとも改姓する意味がわかっていなかったのか…事情は分かりませんが、改姓が原因で虐めにあったりはしませんでした。転校先の小学校で私を虐めるような同級生がいなかったことも本当に幸運だったと思います。

大人が結婚して苗字が1つになることは知っていましたが、離婚すると子供でも苗字が変わることがあるんだと初めて知りました。事情が事情なので感動の気持ちなどは当然ありません。

 

 

〇母親の再婚と望まなかった中学受験

関東で仕事をするうちに、母親は仕事の縁で新たな出会いを見つけました。私が小学校に在学しているうちに再婚するまで決まったのですが、住んでいる祖父母の家と新しい父親の勤務先は遠く離れていました。

 

母親は子供の私より再婚相手の事情を優先しました。母親からは私が小学校を卒業するのと同時に、新しい父親の勤務先がある別の市に引っ越しすると知らされました。そして母親から「小学校を卒業してから、引っ越し先の公立校に進学するか、人間関係がリセットされる中学受験をするか、好きな方をお前が選べ」と求められました。

 

公立校に進学しても、小学校時代6年間で構築されている人間関係に新顔が割り込めないことなど小学生の自分でもわかることでした。小学校の比較的早い時期に転校してきた自分でも、当時の小学校で既にできている人間関係の輪に入り込むことが大変だったことを既に経験していたため、中学受験して人間関係のリセットを図るしか実質的に選択肢はありません。

選択肢を与えているようで、実はある一方の選択肢を選ばざるを得ない、選ぶように仕組まれている。不自由な二択を強いられ、私は中学受験をすると答えました。

 

このようにして親の再婚が原因で中学受験をすることになったわけですが、受験勉強を開始して以来、母親からは「そんな勉強量で合格する気があるのか」と再三にわたり勉強が足りないと叱られ続けました。私としては望んで受験をすると決めたわけではなかったのに、母親に「お前が自分で選んだことなんだから」と私を攻撃できる口実を与えてしまったわけです。

自分を守り続けてくれると信じていた母親は、この頃から私に攻撃的な面を見せ始めます。

 

家庭環境に苦しみながらも受験した結果、私は関東のとある学校に合格しました。

小学校を卒業するのと同時に、私は人生で2回目の改姓を経験しました。新しい父親の姓を名乗り、これまで住んできた土地からも離れ、友人関係も無くして再度ゼロからの生活を始めることになりました。

しかし、ここからも私の人生の不幸は続いていきます。