「私はこの方のお世話をすることによって、元気をもらっている」
そう言われるご家族の方を、幾人かお見受けする機会があります。
医学的に、化学的に、誰かを支えることは、その方にとって心身の疲労を招くと考える視点だと思います。
ただ、家族様自身がそう思うことで気丈になれると思われるのならば、
私はその意志を守りつつ、専門的な目線で環境整備とリスク回避に努めること。
それが支援者としての礼節だと心がけています。
時々、医療関係者から、
「この状態なのに、なぜこの人にこんなことをさせている状態を、見過ごしているか」
とういような指摘を受けることもあります。
医療者としては、それは正論としての意見に相違ありません。
福祉として、本人の活力を削ぐことに、傷病との優先比較を検討してしまう自分がいます。
今日、家族の方が話していました。
「これを阻害されたら、私は生きたまま”死んでしまう”」と。
改めて、今日の仕事で「生きること」について考えました。
誰かを救う人を仕事としている方に、私が問いたいことは、
その人の心も活かすことができる手助けをできるか、これを自問自答して支援を頂きたいと思っています。
誰かがいるから元気になれる。
これは、まさしくお薬では対応されることのない、「人薬」なのでしょう。