ぐりっど洛西のKと申します。

 

本日は、少し介護分野とは離れた内容を記載致します。

 

少し宗教分野にふれるのですが、

 

「ゆるす」という言葉には、2種類の漢字がございます。

 

”許す”と”赦す”です。

 

前者の許すは、日常的に使用されている言葉です。

 

普段から、私もよく使用している言葉ですが、後者である赦しという言葉を使用する方からは、

 

少し意味あいが違ってくるという話を、以前に聴いたことがあります。

 

興味本位で、私はクリスチャンの方に、

 

「”許す”と”赦す”の違いって何なのでしょう?」

 

と問いかけたことがあります。

 

その返答はあまりにも長かったので、その方と最終的に話し合った結果は、

 

 

「許す」はその対象を行う前のことを”ゆるす”のであって、

 

「赦す」は罪をおかした等の、その対象が事後であっても”ゆるす”こと。

 

 

このような解釈で良いでしょうか、という確認をとり、その方から許しを得ました。

 

私はクリスチャンではないのですが、その言葉に少し興味があったので、

 

もし解釈が違っていたら申し訳ないのですが、上記のように使い分けをしております。

 

全然介護分野とは違うのですが、

 

介護やケアマネの仕事をしている日常で、

 

高齢者の方や、職員の方が何か失敗した時や、愚行をおかした時に、

 

果たして普段から人を、「ゆるす」ことができているだろうかと、時々自問します。

 

 

また社会福祉士としての観点より、人は愚行権という権利を持っています。

 

誰もが、周りの人から明らかに「悪い」と判断される行為を、人は行うことができる権利があるということで、

 

それもまた生きることであると昔学びました。

 

 

上記の「ゆるす」とミックスして考えて、

 

この仕事はある意味「赦す」ということも技術のうちだと私は考えるときがあります。

 

やはり、仕事の中でも私生活でも「怒り」を起こしてしまうときが恥ずかしながらあります。

 

その度に、「〇〇を赦すことができなかった」と反省する形をとっています。

 

仏でなく、人間なのだから仕方ないのですけれども。

 

 

文末ですが、

 

今あなたが何かにイライラしていることや、余裕がない等の感情でいらしているときにふと思ってみてください。

 

あなたはそれをゆるすことができるかどうかを。

 

それがもしかしたら、人が求めている「やさしさ」なのかもしれません。