お盆を迎える8月になると、ぼんぼりに明かりが灯るように、子どもの頃の記憶が蘇る。毎年、20人以上も集まる大宴会が開かれ、親戚縁者の胃袋を満たす台所番をおばあちゃん一人でやってのけた。

酒飲みも多かったから、いろんな料理がテーブルを彩った。忙しそうに盛り付けたり運んだりするアシスタントの母親たちを垣間見ながら、私は決まっておばあちゃんの傍にいた。トロ箱で仕入れたマイカや青魚を、小出刃一本で次々に捌いていく技は、うっとりするほど恰好が良く、いつか私もそんな台所番になるぞと幼心に憧れたものだった。

 その台所番が、刺身醤油にさっとくぐらせて私の口に入れてくれるイカのエンペラや、脂が乗った腹身の切れはしが大好きだった。どんなに忙しくても楽しそうに「台所番が一番おいしいところを食べられるんだよ」と、破顔一笑するばあちゃんが大好きだった。

 ばあちゃんちの裏山に、洞穴のような防空壕がある。第二次世界大戦中に、じいちゃんとばあちゃんが掘ったらしい。防空壕には二つの入口があるが、貫通する直前に戦争が終わり、今でもそのままになっている。子どもの頃は、薄暗くひんやりとしたその中に入るのが怖くて、入口まで行っては「キャー」と逃げ帰っていた。

 戦争が終わり、役割を終えた防空壕はいつしか、ばあちゃんのセカンドキッチンとして使われるようになっていた。入口付近に七輪が常設してあり、野山から採ってきた季節の恵みの下処理を施す。春の山菜のあく抜きやタケノコ茹でから始まり、梅干しづくり、ウリの粕漬、干し柿、味噌と防空壕キッチンの季節は巡る。

中の奥まったところには、年代物の梅干や梅酢、味噌の入った容器が鎮座している。秘伝のレシピで作った茄子の泥漬けは、今となってはとても貴重である。

料理番のおばあちゃんも今年で95歳。防空壕キッチンから届く季節の恵みに、我が家の一族は繋がれ守られている。防空壕がセカンドキッチンとして、ずっとあり続ける、そんな日常が続くことを私は今日も台所から祈る。

(2018年8月5日付け毎日新聞島根面掲載記事)