題名:英仏百年戦争 著者:佐藤 賢一
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英仏百年戦争 (集英社新書)/佐藤 賢一
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思いっきり固い題名ですが、著者は「傭兵ピエール」とか「ジャガーと呼ばれた男」などを書いている
直木賞作家の佐藤賢一さんです。
「英仏百年戦争」というと、私も世界史の授業を受けた時に聞いたかな~、
くらいで正直
「どっちが勝ったんだっけ?」
「ジャンヌ・ダルクが出た戦争だったかな」
というくらいの理解でした。まあ佐藤賢一さんの本だし読んでみようか、と。
この時代は日本で言うと室町幕府が始まったころから戦国時代に入る手前あたりです。
内容はというと、
第1に
この戦争は イギリス(イングランド)人の王様VSフランス人の王様 ではなく
基本的に
フランス人の武将(イギリス在住)VSフランスの王様 の闘い であったということ
第2に
この戦争をきっかけにして「フランス」という国の形が出来たということを丁寧に説明しています。
ちなみに現代のイギリス人、フランス人のほとんどは「自分の国が勝った」と思い込んでいるそうです。
結果は、痛み分けというのが正確なところなんですが。
日本人にはピンときにくいのですが、今のエリザベス2世につながるイギリス王家はフランスの有力武将がイギリスの渡って征服したのがはじまりなのです(いわゆるノルマンコンクエスト)。
しかも途中の王様は必ずしもイギリス育ちではなく、フランスやドイツで生まれ育った人も多い。
乱暴なたとえをするならば、鎌倉幕府が倒れそうになって諸侯が好き勝手しているところに中国の有力武将が日本に上陸してきて征服してしまい、それぞれの地方に中国人の武将を大名として配置してしてしまった、という感じです。
でもって中国の領土はそのままなので、立場は日本国王かつ中国皇帝の配下(といっても同格でしかも仲が悪い)という感じなのです。
ノルマンコンクエストの少しあとが「十字軍」の頃になり、有名なイギリス王“獅子心王リチャード”が出てきます。KOEIの“蒼き狼と白き牝鹿-チンギスハーン”にもプレイヤーとして出るので知っている人も多いんじゃないでしょうか。もっとも中世イギリスの模範的英雄である彼も、ほとんどをフランスで暮らしており、イギリスにいたことは半年だけだそうです。
まあ、このような経緯でフランス有力大名武将かつイギリス国王という状態が続いていたのですが、フランス王の権謀術数によりフランスの所領は失い、追い出されてイギリスに住むようになりました(失地王ジョンのとき)。
しかし、元々フランスに住んでいたフランス人でしかもフランス王との縁戚関係もあるものですから、そのまま納まるわけがなくイギリス王たちは代々、
「フランスの(先祖の)土地を返せ!俺がフランス王だ!」
と戦争を起こしますし、フランス王はフランス王でイギリスで王様が死ぬと
「俺がイギリス王もやってやる!」と
スコットランドを巻き込んで戦争を起こすわけです。
なにせ両国の間は海といっても直線距離34kmしかありません。
だいたい上野から、横浜市・さいたま市・柏市あたりの距離。和歌山-徳島よりも近い。
しかも、この時期というのは、実は両国ともまだ国が統一されてません。
イギリスはスコットランド・ウェールズ・アイルランドに分かれ、フランスも王様の直轄地はパリ近辺だけ。
でも両国が戦っていくうちに、フランス国内が「イギリスが攻めてくるのにバラバラじゃまずいよ」という雰囲気になってきます。
ちょっと前の日本でもありましたよね?
普段は仲の悪い複数の不良グループが近隣の高校から「ボンタン狩りだあ~」みたいに攻められはじめて、愛校心なんてかけらもなかったはずなのに「○○校なめんなよ!」みたいにまとまるアレみたいなものだと思います。
さすがに国の話なので、徴税権の変遷とか常備軍とか絡んできます。そのへんも面白いです。
少しだけジャンヌ・ダルクの話も出てきます。
最後に
私自身も最近まで「福島県人」という意識はあまり持っていませんでした。しいて挙げれば「会津人」
だったのですが、昨年の地震でだいぶ「福島県人」という意識が出てきました。
よく、日本人は外圧がないと変われない、と言われますが、意外とどこも変わらないのかもしれません。
ヨーロッパは地続きで国がわかれているのでその機会(文化や言葉を意識する機会)が多いだけなのかもしれませんね。