昨日のお話。
僕は午後からお休みを頂きました。


朝から雨が降ったり止んだり。
気温は高く湿度も高く。


関東は梅雨の日でした。


午後からは霧雨になって、
傘をさして歩くか微妙な雨になり、
僕は、傘をささずに霧雨のなかを歩いていきました。

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松戸にある本土寺。
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ここは、あじさい寺と呼ばれています。

この梅雨の時期は、紫陽花の花を観に多くの観光客が訪れる場所です。
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ほんとに小さい頃は雨の日が大好きでした。

雨がっぱを着て歩くのが好きだったのです。
水溜まりをパシャパシャして、母親に怒られたり。笑


成長して通学や通勤するようになると雨はわずわらしくなり、段々と嫌いになっていきました。

特に梅雨の時期は、ジトジトとして暑くて、毎日続く雨に嫌気がさしたり。


けど、どうしたって日本では、雨の日より晴れの日が多いから。


10代の終わりに差し掛かる頃。

僕は、口には出さないけど、物事を端的にはどうしても考えられなくて。
漠然とある不安や悲しみに対して、やみくもに前向きに言われたり過ごすことが、無責任な綺麗事に感じることが多かった。

だから、あまりにも毎日、晴れの日が続くと、まるで、太陽にポジティブの押し売りをさせられているような気がして(笑)、
たまに降る雨が心地良くて、また少し好きになりました。

梅雨の時期の雨は、ジトジトして、やっぱり嫌いだったけど。笑

要は我儘なんですね。笑

何でもそうかもしれませんが、ほどよくあるのが一番心地良いのかもしれません。


楽しい毎日も永遠に続くと思うと、耐えられなくなるかもしれません。

というより、楽しい嬉しいと感じることに麻痺してくるような気がします。

感受性が麻痺してくるような気がするのです。


痛みや悲しみも全くない世界は、それはそれで、楽しい嬉しい気持ちさえもいつの間にか失くしてしまう。


誰かに想われ愛され続けると、誰かを想い愛することもいつの間にか忘れてしまうのが怖くなるように。


人間だから、当然なんですけどね。笑


そんなこと頭で分かっていても、忘れてしまうし、ないものを欲してしまうのも当たり前だし。


それは醜いことでも何でもなくて。

いろんなことを気付くサインではないかと考えて悩んで、そんな先にある雨上がりのよく晴れた日に感動したり、嬉しくなったり、雨に打たれた陰日向に咲く紫陽花を美しい綺麗と感じたりする気持ちが僕はとても好きだから。


なので、僕は今でも、たまにおセンチになります。笑


忘れて生きていたくはない。

忘れたくないです。
こんな気持ち。



そんな32歳の今。

雨に濡れた土の匂いも穏やかに感じて
心地良く歩いています。

梅雨もこの時期も、そんなに嫌いじゃないです。


大好きな陰日向な花が咲く季節だからです。


昔から僕は紫陽花の花が大好きです。
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雨にうたれて、艶やかに咲く寂しげで悲しい花。
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その寂しげで悲しい花は、雨上がりに光を受けて奥にある優しい色を魅せる花になるからです。
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この日も、霧雨はいつの間にかなくなり、太陽が顔を出して、紫陽花は優しい色を魅せてくれました。
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お参りも忘れずに。
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まだ咲ききっていない花も。
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蝶々みたいな、この紫陽花。笑
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広がるアヤメの花の畑も綺麗でした。
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うーん。
戻った感受性。笑


雨上がりの太陽を、
たっぷりと浴びて帰ろう。♪( ´▽`)
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