ってこの前飲み屋で隣に座った乙女系不思議くたびれOL派姉さんから唐突な質問。


思えばそんな質問中学生のとき以来でございます。




はい?      と目が点に。




好きな人いますか?


今聞いてみるとなんとフレッシュな響きでしょう。


思わず顔を赤らめて「そんなのい~な~い~よ~」と謳って見たくなります。


好きな人、すきなひと すきなひと。。


ひととようも歌ってましたっけ、君と君の好きなひとが~って。


きっと姉さんは私と好きな人について盛り上がりたかったに違いないのですが、

私の口から出たのはこんなしょーもない一言。


「いっぱいいますよ」






ごめんなさい、ねえさん。



ごめんなさい、中学生の私。




今日、近所の駅に寄ったら駅前喫煙所にものすごい人がいたよ。


そもそもこんなに駄目って扱いになるなら最初っから作んなきゃいいのに。



ホンと悲しくなります。



タバコすってても愛してください。


なんちて。

親戚でない知人が無くなることは私にとって初体験。


悲しいと思った。
ないたし。


人が亡くなることはなぜ悲しいのだろう。

もう二度とこの世界で同じ価値観を共有しながら語らうことが
できなくなるからなのか。
この世界で同じ時間を共有できなくなったからなのか

その人の意見や世界観や好みを新しい情報として得ることができない
だからなのか。

それならばそのすべてを得る気持ちで私はいたのか、
その予定でいたのだろうか。

予定していたことが突然無くなってしまうのはすごく戸惑う。
それはきっと自分にその「事」に対するスペースが空けられていたから
そうなんだろうと思う


FITするように空けておいた場所に突然入れるものが無くなる。

これは戸惑う。

他のものなんかない、
その「事」が人だった場合おんなじ人なんかないから、
空けておいたその人の入るはずだった空白はしばらく
思い出なんか入っちゃったりして、でも思い出に実体ないから
やわらかいうちはきっと周りから水なんか染み出てきちゃって
それが悲しいのかもしれない。


で、いろんな空白がいろんなひとの為に空いてるから
そっちの管理しなきゃいけないし
そうう事かな。




あーPC打つの辛い~。