ちょっとネット操作を間違えたら、とあるお寺のご住職さんがされている、坐禅会のブログを開いてしまいました。(笑)
そこには、「気付き」というタイトルの記事がありました。
とても簡素で簡潔な文章です。
ほんとうは、そのままその記事の文章を載せたいところなんですが…。
最後の部分、私の趣旨とは違う方向性でしたので、それは断念しました。
でも、その記事を読んだら。
思い出したと同時に、何か変化が起こったようです。
しかしそれは、その記事がトリガーになっただけで。
なぜ変化が起きたのかの本当の理由は、分かっています。
それはやっぱり、身体感覚を感じるに起因しています。
身体感覚を感じ続ける…。
そしてそこから動く。
これに尽きます。
それはまた、後日の記事にしたいと思います。
さて、それでは。
それ(気づき)を、私なりに書いてみたいと思います。
--------------気づき--------------
注意が注意自身に落ち着いている状態が、気付きです。
世界の中に気づきがあるのではなく、気づきの中に世界があります。
気づきが気づき自身に落ち着いているとき、わたしはありません。
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「落ち着いている」という文言は、件のブログ記事のものです。
何に私は強く反応したのだろう?と探ってみたところ、この「落ち着く」という表現にでした。
ここが、ストンッ!と腑に落ちたのです。
そして、これは私の世界観ですが。
「気付き」と「気づき」は違います。
注意と気付きは、日常の意識のものです。
しかし、気づきに気づいている気づきは、通常の意識の認識作用とは全くの別物です。(私にはそう感じられます)
でも、ここはまだ、探求の途中ですので、はっきりしたことは言えません。
そこを探っているうちに、前回の記事の様なことになっちゃいましたしね。(^^;)
もう、ムチャはしたくありません。(笑)
なので、ここからこの先は…。
身体感覚を感じ、気づきは気づき自身に落ち着きます。(^^)
(いやホント、こうしたら肚の底からグワァ~って「楽しいぃぃぃぃー♪」っていうモノが湧き上がって来て。ビックリしました。)
※名物「自分のブログへ誘導するだけが目的のコメント」と判断した場合、私の独断でバッサリ削除します。気付いた時が、削除時。。。