今、自我を見つめています。
自我との対話(自我を感じること)は、以前すでにやりきったらしく、自我は静かにそこに居ます。


今、自我は何も言いません。
ああしよう、こうしよう。
こうしなきゃ、ああしなきゃ。
あれは見過ごせない、これは許せない。
この間まで、意識がアタマにあると、あんなにうるさかった自我が、今は一言も発しません。


さみしかったんだよ。とか。
あなたを守るために頑張ったんだよ。とか。
そんな風に一言でも言ってくれれば、気付けたんだけどね。(^^;)
何にも言ってくれないから。。。



今までに仕入れた、スピリチュアルの知恵や、悟りのものの見方を介入させずに、自我を見つめています。


身体感覚を感じながら、自我をゼロにし、トドメの一撃で脱力しました。
が。が、です。
真我と自我の協力関係は、私が今までに仕入れてきた知恵、知識、情報などにより、不発でした。
(脱力に至れたことと、不発の原因が分かったのは、ラズベリーさんの記事によるところが大きかったです。)
(その後、えみさんの記事やコメントを拾って読んで、ようやく分かってきました。)


真我や悟りに重点を置き過ぎて、自我や無明を軽んじる。
それが、まだ、私の根底にありました。
それはなにも、外部から仕入れた情報のせいだけではありません。
私が、自分の弱さを避けていたからでもありました。


自我は、そんな私の弱さを、いつもカバーしようとしてくれていました。
私は今、そんな自我を見つめています。


私は今まで、そんな自我から目も意識も逸らして、強さの象徴である真我や悟りを追いかけて、逃げていたのでしょう。
そっちを追いかけていれば、自我や無明を気にすることはないですから。


色と空は、バランスが大事ですね。
どちらが欠けても、成立しません。
空に重点を置くのも変だし、色に重点を置くのも変です。


真我と自我が手を取り合うのには…。
今の私の場合、自我への抵抗、自我への偏見と思い込みを、自我を見つめ続けることで、解くことです。
(他の方は、また各々それぞれに状況の違いなどがあると思います。)



※名物「自分のブログへ誘導するだけが目的のコメント」と判断した場合、私の独断でバッサリ削除します。自我、がんばれぇーっ!(笑)