人は皆、表に天国、裏に地獄という庭を持つ

人類に文明と呼ばれるものが生まれるもっと以前。
人々は個々の小集団(部族)に分かれ、生活を始めていた。

そんな時代にとある部族に危機的状況が襲った。
天災や人為的な管理の不備が重なり
部族の生活を維持するための食料が枯渇してしまった。

当面、自力での食料供給は絶望的状況。
様々な議論の末、部族の代表は
近隣の部族に食料の援助を依頼することになった。

その近隣の部族は食料の備蓄もあったのだが、
「我々もいつ危機が迫ってくるか分からないから」と言って
食料の援助を断ってきた。

それを知った部族のある者が
空腹で餓死寸前の同胞も出てきている部族の皆に大声でこういった。
「あの部族は我々を皆殺しにするつもりだ!」
このような状況下で部族の人たちは
どのような行動をとるだろうか?
そして、どのような行動が正しいと言えるだろうか?

そのまま皆で餓死していくのか?
決死覚悟で隣りの部族から食料を奪うのか?
それとも・・・?

そんなことを以下の本を読み終えたときに
私の脳裏にはっと浮かび上がったのだ。

多谷千香子 「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から―
岩波新書 2005年10月


本書は東西冷戦集結の流れの中
不幸にも国家の分裂、内乱の道をたどってしまったユーゴスラビアにて、
旧ユーゴ戦犯法廷判事を務めた著者が
旧ユーゴの歴史的・宗教的・民族的背景や当時の状況を解説し、
「民族浄化」と呼ばれる歴史的事実に関しては
著者自身が担当した件で出た証言を紹介することで、
紹介されている。

内容としては、女史の判事としての視点によるものなので、
必ずしも多角的な視点ではない部分も否めない。
ただそれは、民族浄化の真相に関しては自身が責任の持てる範囲として
担当した仕事による経験則によるものに内容を限定したからだろう。

正常であれば多くの人と互恵的に生活することが合理的なはずだ。
ただ、危機的状況で情報量も限られてしまっている状態で、
ある者が「自分たちはこのままでは殺されてしまう」と言われたとき
「そんなことはない」と本当に言い切れるのだろうか?

ましてや互いが僅かながらでも不信感を抱いているような
伏線が存在していたとしたら・・・。

確かに旧ユーゴは歴史的に大国に挟まれ
宗教的にも境界線にあるような地理的状況だったのが、
不信感を持つ伏線にあったのだろう。
だから「単一民族」と言われている日本では考えられないという人もいるだろう。

でも民族や宗教の違いだけが不信感を呼ぶのではないはず。

日本だって様々な既得権に対する
「妬み」ベースに思えるような足の引っ張り合いが見受けられるが、
いつそれが過剰な煽りを受けて悲劇を生み出すかもしれない。

人は正常であれば理想である「神」を目指して精進するものだが、
時と場合によっては「悪魔」にもなりうる存在なのだ。

そんな人間の本質を改めて認識させられる良書であった。