夜の月も
空の雲も
終わらない永遠も
恐ろしい悪夢も
歌詞表現においては、右に右折だ。
重複表現のだらしなさは
短歌や俳句、歌詞などの「歌」において
顕著にその贅肉をたるませる。
俳句で言えば、17音
短歌で言えば、31音
歌詞で言えば、メロディ
という秩序のなかで
言葉は最大限想像を巡らせる。
上記した例はその秩序を乱暴にはみ出し
鑑賞者の想像の自由をも奪うものだ。
“よみやすい”と言えば聞こえはいいが
行間にたゆたう表現の豊かさを犠牲にしてまで
得るべき要素なのだろうか?
もちろん日常会話や一般的な文章で
そこまで考える必要はないと思うが、
言葉が“読む”ものから“見る”ものに変化している中
言葉の持つ表現力までデザインの範疇に
捉えられるという先進的な傲りに、
私が憤りを覚えずにはいられないのは、
言葉を持って表現せしめんとするアーティストまで
痩せた言葉と貧血の文章に
目を輝かせているということだ。
シナリオコンテストなら
私は断然、漫画か映画をやるべきだと思う。
武器になるはずの言葉を撒き散らす
きっと僕らは戦争中だ
― 古志野光