**これまでの話**
父が脳出血で深夜から明け方にかけ、救急搬送された。
コオは妹・莉子に頼まれた入院手続きを済ませ、今は感情に蓋をして、娘らしいことをしようと考える。父に万が一のことが起こることを考え、今すべき事のリストをFAXにして莉子に送り、長い1日を終えた。
2日後、父が意識を取り戻し、コオは面会して何が起こったのかを語った。奇跡的に父は麻痺もなく、言葉、認知についてはほぼ問題がなく、ただ記憶だけが混乱しているようであった。
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「学生時代・・・ボートで鍛えたからな」
と父はかすかに笑った
父は、技術屋だった。定年前は管理職になったが自分が大学で専門を極めて行けなかったことをずっと残念に思っており、父と同じく理系で大学院に進学したコオを支えてくれた。決してスムースではなかったが、文句を言ったり責めたりすることなく、ただ、仕送りをし続けてくれた。 お金だけ渡していた、といえば、そうである。それでも、コオは自分の専門の話をすると、ひどく嬉しそうな顔をする父を覚えている。
昔風の会社第一の会社員。何度か会社の部署は代わっていたが、仕事ばかりしていた。定年時は2時間以上かかる遠い工場まで通っていた。顔を合わせることが少なかった。
それでも、小さい頃コオを沼のある大きな公園によく連れて行ってくれた時期もあった。
コオはやはり少し変わった子供だったのだろう。夜中に、工場の機械トラブルだ、と言って飛び出していく父、家に帰っても、図面を睨みつけている父、仕事ばかりの父が、ひどく格好がいい、と思っていたのだから。
その一方、普段の生活の上では、ひどくへんてこな父親だ、とも思っていた。空気は読まないし、結構こっちが恥ずかしくなるようなことを、平気で自慢したりする。相撲が好きで、ゴルフが好きで、うんちくを語るのも好きで。でもそれは偉そうとか、嫌味には聞こえず、どちらかというと、家族は「しかたないなあぁ」と、笑いを含んで聞いていたような気がする。
