**これまでの話**

父が脳出血で深夜から明け方にかけ、救急搬送された。
コオは妹・莉子とともに一度は病院に向かったが、父は意識がなく、入院手続きなどの説明だけ受けた二人は病院からそれぞれの自宅に帰宅した。莉子が自分がやるといった入院手続きを、かわりにやってくれという電話をうけて、コオは病院で、意識のない父に会う。

父に話かけながら、コオは10年ほど前を思い返し、短い面会時間を終えた.

 長い間断絶していた実家だったが、今は感情に蓋をして、娘らしいことをしようと考えるコオだが、自分の家族のもとに帰って、ひと時、日常に戻っていた。

 遅い夕飯ののち、コオは莉子にFAXを送ることにする。

 

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 コオは、初めて携帯を持つようになったとき母にメールアドレスを教えた。

 母も自身の携帯電話から一度だけテストでメールをしてきたことがあったような記憶がある。

 でも、それが最初で最後だった。

 母は携帯電話を音声通話には使っていたようだが、誰かにメールを送ったりすることがその後あったのかどうかわからない。コオの記憶する限り、コオの携帯電話アドレス帳に<母>という文字があったことはなかった。莉子や、父のものもなかった。コオは、同世代の中では(特に女性の中では)、仕事柄もあって、間違いなくパソコンを含む電気製品にとんでもなく強かったし、その便利さを余すことなく享受していた。しかし父母の世代には、それは難しいことも理解していた。それでも、娘息子や孫たちと連絡を取りたい、という一心で、コオの友人達の父母が携帯電話やe-mailを使いこなすようになった、という話を聞くたびに、コオは胸苦しくなった。自分は、連絡を取りたい娘ではないのだ、自分にはそういう価値がないのだという思いに苦しめられた。

 

 コオは、ただ母と、メールのやり取りをしたかった。

 それはとうとうかなうことはなかったのだけれど。


 今思うと奇妙だったのは、莉子のアドレスもコオは知らなかったということだ。いくらなんでも、コオの世代は少なくともE-MAIL、携帯電話かスマートホンはマストアイテムだ。持っていないわけはない。確かに、コオのレベルまでパソコンを使えない女性は多かったが、代わりに彼らは日常的にスマートホンを使う。だから莉子も持っていたに違いない。それでもコオはあまり気にしていなかった。自分が機械に強いのは、仕事柄だし、自分の妹ではあったけれど、ともかく莉子は自分とは違うのだ。

 コオが好きなもの、欲しい物、必要なもの。それらは莉子には無価値か、あるいは最初からふんだんにあって、欲しがる必要さえないのだ。つまり、莉子にとって、コオのメールアドレスは無価値で必要はなかったのかもしれない。逆に、コオにとっても莉子のメールアドレスは特に必要なかったのだと今、コオはあらためて思う。