聴診器  写真は、私の聴診器です。

 就職してすぐ購入したので5年半くらい使用しています。

 訪問看護師になってからは、

 病棟時代よりも、更にお世話になっていますドキドキ



 10月から、訪問看護師として2年目になります。

 1年間、日々は楽しく駆け抜けました。

 

病棟時代とは全く違った働き方をして、違う喜びやストレスもありました。

「思ったより面白い」というのが正直な感想です。


私は、もともと病棟が嫌いでやめたわけじゃないし、

ものすごく訪問看護がやりたかったわけでもありません。

以前も書いたかもしれないけれど、

終末期のケアに興味があって、

現在の日本では「ホスピス」と名のつくところは、がんとエイズのみが対象、

そして「ホスピス」といえば施設病院、つまり場所だという考え方が一般的です


しかし、「ホスピス」とは、場所のことではなくて1つの考え方ですひらめき電球

がんに限らず全ての人が、最期に生きる場所をどこにしたいのか、

それを自由に考えられて、自然に選択肢の一つに在宅が挙がる社会になったらいいな、

という思いで、あえて訪問看護というなんでもありの土壌から再スタートをきりましたくつ


そんなアツい思いはそっちのけ(?)で、

ほとんどは、終末期ではない人を受けもって早1年。

でも、長い目で見たら、訪問看護を利用するような人は、終末期に向かっているといえます。

もっと長い目で見たら、私自身も確実に老いや死に向かって生きているのです。

こんなことばっかり考えていたら生活を楽しめない気がするけど、

いずれくる死を意識して今を生きるって、本当に大切なことだろうし、

そう考えるとより命を大切にできるのではないか

と思う気持ちは変わりません宝石赤


その「今を生きる」「生活活する」ことを支えるのが看護だとしたら、

入院中の非日常空間ではなく、家での日常生活を支える訪問看護は、

確かに本来の看護師の力を発揮するところなのかもしれない、

と少しずつ感じているところです。


老いや病気あるいは事故によって、今まで楽にできていた生活が大変になってきた。

  「食事が口まで運べないナイフとフォーク

  「飲み込む時むせるようになったおにぎり

  「うんちが自分ですっきり出せないトイレ

  「歩き辛くなったサンダル」               などなど。

実際の関わりだけでなく、その人の健康な面に注目したり、

家族の力を引き出す、そして教育的な関わりがとても重要です。


病棟時代のような命に直結する多くの点滴を管理したり、

           入院中の生活全てに責任をもつつもりでいたり、

           バイタルサインや検査の微妙な変化に一喜一憂したり、

           時には分単位、秒すら意識することがあったり・・・・

                               そんな緊迫感は今はありません。

それが無いことが、ちょっと物足りなく感じることもあります。


でも、対象が違うからそれは当然で、

訪問看護が楽かと言えば決してそうではないと思います

例えば、病棟時代と同じ大腸がん肝転移の患者さんでも、

今受けもつのは高齢の1人暮らしで外来化学療法を行っている人家

   外来まで辿り着くのがどんなに大変か、

   初めての化学療法を外来でやることがどんなに不安か、

   その人の日常生活をどのように変えているのか、

   1人暮らしの継続に、どんな援助が必要なのか。

これらは病棟時代では無かった視点ですし、もちろん必要な関わりも変わってきます。


丁度1年前、訪問看護を始める1番最初の時、所長さんとある患者さんを訪問しました。

その患者さんはおもむろに、

「なんで訪問看護がいいの?」

と所長さんに質問されました。

この時は、私も「そうそう、なぜ訪問看護に魅力を感じているのですか?」
と一緒になって質問したい気持ちでした。


1年経っても、私にとってその答えはまだ曖昧だし、

病棟でも在宅でも看護は看護だから楽しいのだけど、

そのうち訪問看護の魅力を語れるようになりたいな、と思っています星


2年目こそ、もっとブログも更新して

皆さんに訪問看護や在宅医療について知っていただきたいと思うので

よろしくお願いしますねドキドキ