「ようこそお越しくださいました、ライオット子爵家アリウス様、アシュリエル・ハーデス様」
出迎えた初老の執事の言葉にアシュリーは思わず目を剥いて、アリウスを見る。
「子爵だと!?聞いてない!お前、何が一介の騎士だ!」
「ま、まあまあ。『一介の騎士(きぞく)』なのは間違いじゃない。それに俺の肩書きなんてどうでもいいじゃないか」
「良くないぞ!何で貴族が傭兵なんか……!」
エントランスの大きな扉が開く。その先にはずらり使用人が並んで待っていた。
『いらっしゃいませ』
「おやおや。確かに、レディ1人出迎えるのに、大袈裟なことだな」
アリウスは、彼の趣味を思い、クスリと鼻に手を当てて笑った。アシュリーの方はすっかり足が止まってしまっている。
「どうした、アシュリー?」
「お、おう」
歩き出す足も、カクカクとぎこちない。
「アシュリー。今のお前は、何処に出しても申し分ない、何処かの御令嬢だ。もっと胸を張って自信を持って歩くんだ」
「わ、解った」
奥の客間に通される。その広さも去ることながら、置かれた調度品の数々も、どれをとっても一つだけで一介の冒険者の所持金を軽く超えてしまうのだろう。アシュリーはすっかり小さくなって、言われるがまま、猫脚の椅子にちょこんと腰をかけた。
「旦那様は、少々急な用事をお済ましになってからいらっしゃるとの事ですので、誠に恐れ入りますが、しばらくここでお待ちください」
先の執事がすぐに茶と菓子を持って来てそう言ったが、まるで味がわからないほどに、アシュリーは緊張していた。
「急用?聞いていないな」
アリウスは片眉を跳ねあげる。
「…ライオット様には旦那様から御伝言がございます」
「何だ」
「レディの前では少々」
「そうか」
アリウスは剣を持って立ち上がる。それを見たアシュリーは慌てて呼び止めた。
「待ってくれ!こんなところで1人にしないでくれ!」
「何を言う。お前はこれから男を手玉にとって玉の輿に乗るつもりなんだろ?そんなことでどうする」
扉に向かいかけたアリウスは、可笑しそうに笑うと、まるで子供のようにやたらに不安がるアシュリーの頭をポンポンと撫でて諭した。
執事について彼も部屋を出ると、屋敷の奥へ向かう。
「何やら騒がしいな」
「旦那様からの御伝言は……」
「言うな。大体解った」
初老の執事は少し笑う。
「どうぞ武器をお手に」
奥に行くにしたがって、随分派手な音がし始める。アリウスは戦慄した。ニヤリと剣を抜き払う。血が騒いだのだ。
「では私はここで。私はハーデス様のお世話を申し使っております故」
「ああ任せておけ」
「どうか御武運を」
アリウスは1番派手な音がしている部屋のドアを蹴り開けた。
アリウスが、貴族なんてやってられないと思ったのは、毎日毎日退屈すぎたからだった。もっと血の滾る興奮が欲しかった。刃も付いてない模擬刀で嗜む戦闘ゴッコではなくて、本当に斬られれば皮膚が弾ける生死せめぎ合うリアリティが欲しかった。
ましてあんな"もやしのチビ"にも劣る戦闘ゴッコで終わりたくない。自分の力を真に試してみたい。
本気で生きてみたかったのだ。人生さえも嗜みになってしまうのが、嫌だった。
「シルバー!」
部屋に入ると、蟹型のモンスターが部屋にひしめいていた。標的は……1人。
間もなく、アリウスの足元に、ゴロゴロとシルバーが転がり込んでくる。
「…やあ、アル。君が来るのが遅いから、一発もらっちゃったよ」
「ふん、戯言を。何だ、この騒ぎは。今日はレディを招いた大切な日だろう?メインディッシュに蟹鍋でも出すつもりなのか?」
「まさか。餞別に蟹を生きたまま送ってきた馬鹿野郎が居てね。駆除に難儀していたところなんだ。……僕のレディはどうしてる?」
「メルヴィウス様をお待ちかねだよ」
「そうか…ならやっぱり僕はさっさと蟹退治を終わらせなければならないね。レディにこんな汚い物は見せられない…!」
「そうだな、レディは血生臭いのはお嫌いだ!」
飛んできた蟹爪の攻撃を二手に別れて避けると、2人の剣が一閃する。シルバーは次々とやってくる攻撃を受け流しながら、1匹突いては返す刀で2匹凪ぐ。
「シル。数が減らないんだが、まさか増えているのか?」
「家のどこかに転送用魔法陣が仕掛けられたんじゃないかって思うんだけど……何せこの家の人間はそういうのにとことん疎いから…!」
「どこかって…こんな馬鹿広い家のか?」
「わかってる!しかも魔術の心得があるのは僕1人だ、僕が何とかするしかない!」
シルバーは紫電を纏う剣をびっと突き出して言う。
「とにかく、探して元を断たないと、ね!」
「…!!シルバー!伏せろ!…外だ!」
部屋の1番大きな窓ガラスがファイアの炎で全損する。バリンンンッと言う甲高い音と共に、シルバーをかばったアリウスの盾にガラスの破片がバシバシと当たって落ちた。
「…おまけに侵入者を好きにさせてるのか。叔父様に用心棒の雇い先を変えるように申し伝えておく」
シルバーとアリウスはよろり立ち上がる。
「それで、これは誰からの贈り物なんだ?」
「わかりきったこと聞くなよ。…こないだ奴にミルドリアンの名前で書状を出したんだ」
「なんだ、自分で売った喧嘩なのか。いやしかし、随分短気な相手だな」
2人は今一度ざっと20匹かそこら居るそれと対峙する。間もなく、2人のそれぞれの剣が閃いた。
彼女の、そのミスラの耳には、ガラスが割れる様な甲高い音が、微かに、だが確かに届いていた。今のは何の音かと例の執事に問うたが、彼は席についているように促すだけであった。
立ち上がる。
執事と女中達の制止。
振り切る。
駆ける。
長い回廊を1人。
走り抜ける。
彼女のハイヒールの音だけが高く響き渡っていた。
「居たぞ!身なりのいいミスラの女だ!」
アシュリーははっと我に返る。
傭兵でも三流以下という風貌の男が3人。
「一緒にきてもらおうか」
「何の用だ。よく解らんが、ご要望には添いかねる」
アシュリーは腰のダガーに手をかけた……つもりだった。もちろんそんなものを装備している訳がない。
「はっ…やっぱり、こんな装備では問題あったか……」
「丸腰の女が粋がりやがって」
男の1人がアシュリーの腕を掴んだ。
「…丸腰?」
アシュリーは掴まれた腕を逆手に背負い投げると、その後ろに居た男の懐に飛び込んで、鳩尾に肘打ちを叩き込む。2名倒れた一瞬の出来事に残された男はポカンとしている。
「……これでも、今、非常に苦しい拘束具がついているんだ…。外れたら暴走してしまうかもしれない」
アシュリーはゆらり、残る男の方を向き直る。
「くそ、手練れだなんて聞いてないぞ!一度引き上げろ!」
なんて三流以下なんだ、とアシュリーはため息をつく。それから……。
「何だかよく解らないが……メルヴィウス様の身が危険のようだな!」
アシュリーは迷わず、ドレスの裾に歯をかけてビリリと引き裂いた。上質なシルクは脆く、太腿が露わになると、護衛用のナイフが現れる。アシュリーは邪魔になるものは全てナイフで切り裂き、ハイヒールは脱ぎ捨てた。
「…よし。まってろ!」
アシュリーは駆け出す。派手な音がする方へ。…こっちの方が自分に合っている。そう思った。