一時期、『ヒルストリートブルース』に夢中になっていた時期があった。

 このヒルストリート署を舞台とした米国の刑事ドラマは、当時、フジテレビの深夜放送の他に、地元ケーブル局(CATV)でも再放送をやっていた。時間帯が遅いのでビデオ録画して後で観たことも多い。1989年~90年頃の話。

 

このドラマで何より面白いのは個性豊かなキャラクターだ。酒癖が悪く女たらしのラルー刑事、ワイルドで短気だけれどどこかコミカルなベルガー巡査部長など、一癖も二癖もある人間ばかり。比較的まともなのは署長のフランク・フリオ(写真)とガールフレンドであり超美人のジョイス・ダベンポート弁護士だけれど、一見切れ者でエリートっぽく見えるフランク署長にも前妻という弱点がある。この前妻がわがままで頻繁に署にやってきてはお決まりのように愚痴をこぼしたりする(要するに結婚生活は上手くいっていなかった)。どのキャラも人間臭い。放送開始の年(1981年)に当時の記録であるエミー賞を8個取ったのもうなずける。

 

これほどレジェンド的にアメリカでは評価されていたにもかかわらず、日本ではほとんど話題になっていなかったように思う。不思議だった。少なくとも子供の頃に見た『ショーグン』とか『ルーツ』といった作品と比べたら注目度はけた違いに低かった。深夜枠でしか放映しなかったことがそれを如実に語っている。おそらく登場人物が多すぎで、しかもドラッグとか人種差別とかアメリカ特有の問題を扱っていたから、日本の視聴者がいまひとつ感情移入できなかったのかもしれない。

 

この圧倒的なリアリズムと隠し味的なコミカルさを兼ね備えた『ヒルストリートブルース』を見てしまうと、それまで見ていた日本の刑事ドラマが色あせてしまう。

 

たとえば『太陽にほえろ』。

 

アクションが派手だし、人気の若手俳優が出ていたりして、当時子供だった自分にも十分わかり易かった。人間ドラマも描かれていた。けれども『ヒルストリート』のような深みとリアリティが感じられない。特にアメリカで暮らすようになって思ったのは、年間の銃による死亡者が国全体で一桁程度の国で(それはそれで世界に誇るべきだと思うけど)、毎回銃撃戦が起こることの非現実さ。見ていた当時は、年齢的に幼かったし、そんなことは全く考えなかったけれど。

 

『太陽に』に限らず、日本の刑事ドラマに登場する刑事は、憧れの存在であり、スーパーヒーローでもある。ボスは堂々として重厚感があり、山さんは常に冷静沈着、殿下は清潔感あふれた紳士、といった具合。そういった面ではウルトラシリーズや戦隊ヒーローものとあまり変わらない(余談だけど、ウルトラセブンや仮面ライダーの脚本家として有名な市川森一氏は、『太陽に』の脚本も手掛けている)。ボスが家庭問題で悩んでいるとか、山さんがアル中になりかけているとか、殿下が男尊女卑的な面を持っているとか、そんなことはありえないし、もし脚本家がそうした「斬新な」アイディアを出したとしても、恐らく制作側から却下されていただろう。ヒーローは弱点を見せてはいけないのだ。結果、極端な言い方をすれば、キャラクターはステレオタイプ的となる。かつて裕次郎や小林旭が活躍した日活アクション映画路線と同じようなメンタリティーと言えるかもしれない(またまた余談だけど『太陽に』は、石原裕次郎が出演した初めてのテレビドラマ)。

 

一方、『ヒルストリート』の人間描写は実に細かい。刑事ドラマなので、お決まりのような犯人の追っかけや銃撃シーンもあるけけれど、それらのドラマ上の優先順位は低く、刺身のつま程度。あくまで重点は登場人物の心理的葛藤や社会問題の矛盾みたいな方向に向けられている。また演出もリアリスティックだ。例えば夏ならば特殊部隊の制服の背中はいつも汗で濡れていたりする。それがアメリカではウケた。自分が渡米した当時に出会ったブラジル人も『ヒルストリート』は好きだと言っていたから、恐らく世界でもたくさんの人が観ていたと思われる。つまりそれまでの刑事ドラマ、というよりテレビドラマの固定観念を打ち砕いたのが『ヒルストリート』であり、その結果がエミー賞の8冠だった。自分も夢中になった。