ローオブワンとの関連性はどの程度あるのだろうと思い、最近「僕アニ」の記事をいくつか読み返していました。
印象としては理数系と文系の表現の違いがあり、どちらもパズルや謎解きをしながら自分なりに考えることが求められますが、そこに理解や発見や、現実との関連を体験として知った時の喜びがあるように思います。
喜びはもっと知りたいという思いや、先に進もうとする意欲になるため、すべての答えを簡単に与えてしまうと喜びの機会を奪うことにつながるので、わかりにくい表現になっているのかもしれません。
僕アニのほうは子供向けの表現のように書かれている印象です。
わかりやすく簡単に書かれている単語や言葉を、何に置き換えてどう理解するか、その文章や記事全体をどう読み解くかによって、理解がより深まるように書かれているのを感じました。
存在とは何か
他者の存在によって体験が起こります。
自己は他者の存在よってポジティブ・ネガティブな体験ができますが、存在がなければ体験すら起こりません。
存在への感謝とは何か
自己を体と心と霊としてみるなら、肉体はすべて地球からできていると言えるでしょう。
体の水分や食べ物や体の機能や細胞全てが、地球という他の存在によって生かされています。
心は思いや考えや感情や感覚でしょうか。
これまでの体験によって生まれたものが蓄積されていて、今の自分の個性の元になっているもので、これからの指針にも関係しています。
霊は意識や存在そのものでしょうか。
範囲を限定することも包括的に拡大することもできます。最も自由なものと言えるかもしれません。
ここでの体験は、地球が存在しているからこそ体験できます。
誰でも肉体がここに存在している間は、霊・意識であっても何らかの地球の影響を受けているでしょう。
自分への心からの愛や感謝の思いは、地球への愛や感謝にもつながります。
自他への愛や感謝の思いを向けている時に感じられる喜びは、自他が存在するからこそ得られる体験です。
ここでのどんな体験も、自分次第でとらえ方を変えることができるでしょうし、本にあるように、地球への愛や感謝によって第4密度への移行が促進されるなら、ぜひそうしたいと思います。【50.9】
人口はかなり少なくなり、移行完了には100年から700年かかるだろうと書かれていて、今回の収穫では全員が順次適切な時空に移動するようなので、残っている人は何のためにまだここにいるのかを明確に理解して、さらにどう表現していくかでしょうか。
この表現とは言葉で発したり、行為・行動にすることですが、ただの言葉よりも、その人の思いが込もった言葉や行動のほうが、より自分や他者への影響力を持つと思います。
アファメーションを繰り返して、ある意味洗脳のように信じ込ませることはできるかもしれませんが、もし心の奥底でネガティブな(打ち消すような)感覚や思いがあれば、何度やったとしても表面にしか浸透しないでしょう。
思いと表現が一致しているものほど自他への影響力があり、一致していないもの・偽りがあるものほど弱いのだろうと思います。
どれだけ表面を繕っても、内側にあるものや、その表現・行為が収穫の際の移動に反映されるようですから、まずはあるものを謙虚に見て、受容的に理解したり認めるのを繰り返して、自らを満たしていくのかもしれません。
この「愛」は、心から大切に思うものや何かを、やさしく微笑んで眺めたり、笑顔で見ているときの感覚や状態です。
好きな物やペットに向けて感じるときの感覚を、あまり好きではない対象や、これまで大切にしてこなかったものへと、意識的に向けることでもあります。
それには対象への理解が必要で、深く理解するには時間もかかります。
否定的な感覚を伴う理解ではなく、受容的な理解を意識的に行うことで、その対象に愛を向けやすくなると思います。
この感覚や状態では放射していて、喜びを感じている状態です。(強い喜びのときもあれば穏やかな優しい感覚の喜びのときもあります)
対象と一体化しています。
関心や好意を向けるのは、相手に力を与えることでもあるでしょうか。心強さのように感じられるものとして。
他者からの関心や尊敬や崇拝や賞賛を得られると喜びを感じますし、得たいと望んで表現して望み通りに得られると、心地良くなってもっと欲しくなったり、より多くの力を望むようになるでしょう。多くの数字、長い時間、得る喜び
でもこれが悪いというのではなく、子供が親や学校で褒められて喜びを感じるように、程度の差はあれ誰もが経験していると思います。自分を肯定できるきっかけにもなります。
特定の人やものに向け続けると、放射と吸収の関係性として力の道ができるのかもしれません。与えるほうも得るほうも互いに心地良いので、行き過ぎれば依存にもつながるでしょうか。
「一つ」のほうに向けると、循環や、自分を含めた全体への愛・力・喜びにつながるのだろうと思います。 交流による循環、与え合う喜び
これも体験であり、片方の道が存在するからこそ、もう一方の道を知ることができます。
すべての存在への感謝と、それぞれの道で、心から望む幸せを体験できるようにと願っています。