抜粋記事
徳川幕府はキリスト教を禁止し民衆を
支配するために、「檀家制度」を設けた。
人々は必ずどこかの寺院に所属し、
寺に人別(戸籍)を登録するという制度である。
「寺請制度」ともいい、寺院が発行する寺請証文(檀家であることの証明書、
戸籍謄本にあたる)がなければ、
就職も、旅行もできず、生活できなかった。
証文の発行を拒否されると
「帳外れ」(宗門人別帳に記載されないこと)と差別され、
それは、社会的な抹殺を意味した。
“村八分”、ひいては「邪宗門」の疑いをかけられ、
時には死に至るような過酷な追求がまっていた。
このため、住職の権限は絶大となり、
檀徒はひたすら隷属するしがなかった。
檀家総代であっても、寺の行事に参詣しないときには、
戸籍を抹消し、厳しく追及せよ、と定められていた。
要するに檀家制度の本質は「寺院が権力の出先機関」になったことである。
寺院そのものが権力化し、僧侶は「民衆の支配者」となった。
民衆のために権力者と戦い抜かれた大聖人の御精神の対極が、
この制度であった。
「僧侶による葬儀」もこのころ普及
僧侶には、檀徒の死後、死相を見届け、
檀徒に間違いないことを確認して、
戒名を授け、引導を渡すことが義務づけられた。
民衆からいえば、葬儀の際、所属する寺院の指図を受け、
必ず僧侶を呼ばねばならなくなったということである。
僧侶を呼ばなければ、キリシタンの疑いをかけられ、
極刑に処される恐れすらあった。
いまだに、一般に、葬儀には僧侶を呼び、
引導を渡してもらうことが慣習化しているのは、
江戸時代の檀家制度の名残なのである。
こうした誤った旧習を打ち破って、
仏法の本義にかなった友人葬・同志葬を、
社会に定着させていくことが、現代の「宗教改革」となる。
多くの識者も賛同の声を寄せている。
葬儀そのものが、本来、仏法とも、成仏とも、無関係なのである。
釈尊も、大聖人も、葬儀については、何も特別に説かれていない。
(中略)また、徳川幕府は、「自讃毀他(自分の宗旨を褒め、他宗をけなすこと)」と、法論を禁止した。
そのため、布教しなくなった仏教各派は、
信徒をつなぎとめ、寺院を維持するために、
葬儀の執行、年忌法要と塔婆供養の奨励、
盆と彼岸の墓参りの徹底などを行った。
僧侶は、法要のたびに信徒から供養を受け、裕福になっていった。
民衆は、たび重なる僧侶への供養や、
寺院の修復・増築のための布施などの負担に苦しんだ。」
僧侶批判の諺今も残る、僧侶批判の諺には、
民衆の強い不満がこめられている。
「坊主丸もうけ」「憎い坊主の布施好み」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「布施の分だ
け経を読む」「経も読まずに布施を取る」「地獄の沙汰も金次第」などである。民衆
は、僧侶から利用され、搾取される対象でしかなくなった。
個人の信仰心は失われ、仏教各派とも、
葬式と法事が専門の「葬式仏教」となり、葬式坊主となっていった。
檀家制度の内実は仏教を利用した「経済的収奪」にあった。
抜粋記事 http://www.hm.h555.net/~hajinoue/jinbutu/dankaseido.htm からそのまま抜粋
本当のところは、上記の内容であると僕は思います。
ただ、人には人の考え信条がありますのでなんともいえないですが、
ウィキペディアもよろしければごらんください。
最近の檀家離れは、江戸時代からの強い脅迫、脅しが薄れているかもしれません。
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