極真空手 総裁 大山倍達さんとの出会いは


私は小学5年生の時に【悲しい酒】を歌唱した際

ミュージックメーカーズのバンドマスター

松本文男先生にスカウトされたことが

きっかけでした


極真空手 大山倍達さんの信念を

歌にするという企画の歌を歌唱する

歌手に


大山倍達さんが私の歌を聴いて

気に入って下さっての大抜擢


小学6年生12歳の時

19851025日ポリドール

【押して忍んで空手道】

レコード時代最後の年に

大山倍達さんの応援を受け

レコードを発売致しました。


本名が緑子で、当時私は小学生だった為

芸名 緑さやか

と、大山倍達さんが名付けて下さいました


そして

1985114日東京都体育館で開催された

第17回全日本空手道選手権大会で

決勝戦前に【押して忍んで空手道】を

私が歌唱した部分も

テレビ東京系列で放送されました。


スポーツ新聞に掲載された大山さんとの当時の画像







(頂いてすぐに名刺が傷まないようラップをしています)


空手のことも大山さんのことも

全く知らなかった当時の私には

体の大きな優しいおじちゃんと

感じました。


私に名刺と御祝儀を下さって


さやか嬢と呼んで

歌の世界も大変なことがあるだろうけど

頑張ってね

と優しく微笑んで下さったこと

今でも鮮明に覚えています。


私に特等席をご用意下さって

歌唱前に選手権大会を

観戦させて頂いていたのですが


真剣勝負の熱戦

大きな男性が骨折や流血

骨が折れたり、歯が折れる激しい音

負傷して運ばれる選手の方々を

目の当たりにして

すっかり怯えてしまった私


その様子に

大山さんは気付かれ、他の方へご指示されて

私を控え室へ案内して下さいました。


そんな気遣いをして下さる優しい大山さん


歌唱中、マイクが壊れてしまう

ハプニングがありました。

ほとんどが生声歌唱でしたが

元気良く歌い体育館に響いたため


歌唱後に大山さんから


小さな体なのに凄い声量だね

素晴らしかったよ

大会に花を添えてくれてありがとう


優しい笑顔で誉めて頂いたこと

私の一生忘れられない思い出となっています。


大山さんの偉大さは

お会いした後にいろんな方々から

教えて頂き知りました。


私は

落ち込んだ時

くじけそうな時に

大山さんの名言、格言に励まされてきました。

極真空手 大山倍達総裁の名言格言


大山さんとの思い出は私の一生の宝物です。


大山さんのお墓参りに伺いたいと思います。


そして、墓前で感謝を込めて

【押して忍んで空手道】を歌わせて頂きたいと思っています。