第一部 山人って何? 38回

登場人物紹介
第一回
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 平家は、清盛の死後、清盛が夜毎うなされていたナイトメアの内容を伝え聞き、忠実に実行のときを待っていた。蓬莱を浮上させる為、安徳天皇を身内にして、三種の神器を確保していた。後は、時の来るのを待つだけ、未来永劫、殿上人、永遠の勝ち組を夢見ていた。しかし、その「時」とはいつのことなのか、平家の誰も問う事なく、自堕落で、最大消費の日々が過ぎていった。
 源義経は幼少の頃から、鞍馬山で修験者に育てられ、空海の遺言についても継承していた。義経は、修験道から衆道の技を始め、忍びの技、真言の呪法まで身につけ、戦闘マシーンと化していた。衆道の技のおかげで、武蔵坊弁慶をも虜にし、静御前というニューハーフの踊り子までも虜にしたわけだった。
 頼朝のほうは、伊豆でひたすらいじけていて、北条政子との交合にはげんでいるだけだった。思春期になった頃から、年上の女性や同年代、年下、すなわちあらゆる年齢層の女性とのセックスに明け暮れていた。武術はまるで駄目であったが、性術に長けていた為、北条政子のアクメ(R指定十八?)を引き出したことにより、後年、北条氏という、当時関東で最大の豪族の保護を受ける事ができたのだ。
 平家の栄華の陰で、すっかりルサンチマンと化していた、後白河法皇の子息である、以仁王は源頼政にそそのかされ、平家打倒の命令を全国の源の一族に発令した。しかし、平家の情報網により、画策が漏れて、以仁王と源頼政は、あえなくダウンする。
 その後、木曾義仲が、原始的な野人達を従えて、おそらくは類人猿からだいぶ退化した猿人類、あるいは、南方からオランウータンやゴリラを連れて来たり、インド象も操っていたともいわれているが、とにかく、当時の優雅な戦い方、つまり武者同士の一騎打ち、組み打ちなる戦法をとらず、いきなり殴る蹴るドツクといった、蛮勇先手必勝法、あるいは、ゴリラの暴虐な殺戮により、平家をはじめ、平家でもない、京の都の住人達は逃げるしかなかったのだ。薮から蛇ならぬ大蛇を出した、後白河法皇は、鎌倉で政子の巨乳に顔をうずめる日々に浸っていた頼朝に、義仲を京都から追い出せキャンペーンを貼るよう命令したのだ。後白河法皇は方向音痴であったため、義仲を「朝日将軍」つまり、朝日のようにやって来たと、西からやってきたのに、かのような名前をつけたのだ。まさに、京都は夕陽が沈むごとき状態であったのだが。まあ、もっとも平家を夕陽にたとえれば、義仲は朝日ともなるが。
 京の街を、インド象やゴリラ、オランウータン、獅子などが縦横無尽に走り、盗る、犯す、焼くといった、検非違使でも取り締まることが不可能な、無法地帯に変わっている様を、義経は鞍馬山から眺めていた。そこに修験者達がやってきて、平家が三種の神器を持って、逃走中だと告げられた。早く追って、蓬莱浮上を阻止する必要があると言った。しかし、美しき京の都を荒廃させる訳にもゆかず、また鎌倉の兄者、頼朝からも義仲追討の命がでているので、まずは、義やんをかあいそうだが、追い出しちゃえとばかりに、京へとなだれ込んだ。
 そして、義仲を京都から追い出し、次は平家から三種の神器を取り戻そうと、壇ノ浦まで追いつめていった。その頃、平家は、坂丘から船の供給を受けていて、海上の戦いは日本一を誇っていた。源氏は漁船で、平家軍を追っていたのだが、埒があかない。そこで、義経は呪法を使って、海流に変化を起こし、平家軍は不利になり、蓬莱を浮上させる肝心な手順も知らなかったので、あえなく、安徳天皇とともに、三種の神器を源氏に渡すまいとして、海中に投じた話は、琵琶法師達の語りとして、伝えられている。
 この頃になると、坂丘は平家が沈み行く夕陽とみるや、北条家に近づいた。後白河法皇と坂丘は、結局、親交を結ぶにいたらず、これからは武家の天下だということを洞察していたのだ。
 錯綜として時代が過ぎ、南北朝でも、三種の神器をめぐり、坂丘一族も陰から武士達を操ったりもしていたが、なかなか事はうまくゆかなかった。
 そして、ひとつの奇跡として、織田信長が出現したのだった。
(次回へつづく)