第一部 山人って何? 最終回
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第一回
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西の湖を見下ろしながら、柊源蔵は、晴れ渡った九月の空の下、歩き疲れた身体を休めた。あれから三ヶ月、結局のところ未だに蓬莱は浮上していない。それらしきニュースなど報道されていない。南極とかいう地球の裏側の北端にある大陸へ、アムンゼンという人が探検に行ったという。太平洋上に大きな大陸が浮かんで来たとか、大地震も起きていない。
三ヶ月前、熊楠達と一緒に、源蔵は志摩半島にいた。探偵の野次と北川が美元財団の動きを追っていたところ、志摩半島に、建物を建築し始めたらしい。熊楠は、ツイッターで「敵は志摩にあり!」という明智光秀のような気合いで、志摩半島に人を集めたのだった。
熊楠、龍仁、野次、北川、そして源蔵の五人は、志摩半島に突如建設された映画のセットのような建物に集まった。建築はすでに完了している様子で、アラビアの王宮のような外観をした建物があった。しかし、それはまさしく映画のセットであった。その日は無人で、建物というより、裏に廻ると、ハリボテと分かるような、板を立てかけたものだった。一同が首を傾げていたときに、門前ルイから熊楠の携帯電話に連絡が入った。
熊楠が興奮しながら、ルイと話終わると、「本命は安土城跡だった!おのれ、坂丘め、たぶらかしおって!」と鼻息を荒げたが、時すでに遅しだった。安土城跡で、岩笛の演奏が始まっていたらしい。
源蔵達が、翌日、安土城跡へ着いたときには、正二十面体のレプリカがぽつんと置かれて、誰もいない跡地は閑散としていた。龍仁によれば、しかし、蓬莱は浮上していないという。手に持っていた袋から、羅針盤のような形の器具を出して、龍仁は何かを読むような動作をしていた。高野山の結界はまだ破れていないという。
熊楠は龍仁の話を聞き、もし蓬莱が浮上していたとすれば、大地震が発生するはずで、昨日の岩笛演奏から今日まで、大地震の発生はなかったし、高野山から見ても、結界の気が乱れていないことから、坂丘の野望はまだ達成していないと見える。
龍仁は高野山へ戻り、野次と北川は花田の捜査へ、熊楠は田辺へ、そして源蔵は琵琶湖の近くに宿をとり、のんびりとした夜を過ごした。
あの日から、三ヶ月、今だ地震もない。お得意さんのひとりが滋賀県に引っ越ししたため、置き薬の清算をしに、琵琶湖へ再び訪れた。帰りがけに、安土城跡へと寄ってみた。
西の湖を眺めてから、お昼の陽射しを浴び、空腹を覚えて、源蔵は山を降りた。山を降りる途中で、ひとりの紳士とすれ違った。紳士のほうは微笑を浮かべて挨拶してきたので、源蔵も自然に挨拶した。「今日はいい天気ですね。珍しいですね、こんな日に」「ええ、ちょと思い出がてら」とスーツを着た学者風の壮年の紳士は、にこやかに、ゆったりした足取りで頂上のほうへ去っていった。
九月の空のした、山の下ではまだ青い柿の実がいくつか見えていた。
プジョーの横で、葉巻に火をつけながら、山際の稜線に落ちてゆく夕陽を見ながら、コロンボは、和歌山県の山を思い出した。あれから三ヶ月、ここロスアンジェルスで、飛行機事故を装った事件の匂いがして、捜査を始めていた。山の斜面を眺めながら、和歌山県での捜査を思い出していた。
あの日、花田幸吉の家の庭先に、野次、北川、コロンボの三人は立っていた。コロンボの手には、花田の妻、きくからの手紙があった。手紙には、北川の後頭部を打ったのはきくであり、夫を鶏小屋に監禁していること、自分は罪を償う気はあるが、今はほとぼりが覚めるまで身を隠すという内容の事が書かれていた。北川を夫と間違えて殴ってしまったこと、北川に謝罪しても足らないことを、北川に伝えた。北川は無言で手紙を読みとコロンボに手紙を返し、「...きくさんはブレてないよ。旦那がブレ過ぎたんだな」とボソリと言った。
果たして、鶏小屋には、亀甲縛りにされ、口輪を嵌められた花田がうつ伏せになっていた。雄鶏が一羽花田の背中に載っていて、背中が糞だらけになっている。野次が鶏小屋の扉を開けると、花田の背中に載っていた雄鶏が一羽、甲高い声で鳴いてから、天井に近い棚のほうへ飛び上がった。目隠しを解いたが、衰弱した顔の花田は、意識が朦朧としていた。
きくは、夫が京子と関係を持っていたこと、それも脅迫していたことも知っていたらしい。家宅捜索で、きくの三面鏡の台の引き出しから、探偵社から送られた写真と報告書が見つかった。きくはすべてを知っていたのだ。和歌山県警は、きくの捜索をしたが、手紙がコロンボへ送られた日より二日前に、すでに逃亡していたようだ。投函も大阪からだった。
一ヶ月たっても、きくの行方は知れなかった。花田幸吉は、背任行為、詐欺行為により田辺市と美元財団から訴訟を起こされ、起訴された。
コロンボは、野次、北川に別れを告げてロスへ帰った。
夕陽が山の稜線の陰に隠れ、シルエットになった。コロンボはプジョーに乗り込み、カミさんへ花でも買ってゆこうと思った。今日は結婚記念日だっけ。
長い砂浜の隅に立って、柳田國男は、iphoneでYoutubeにアップされていた、山人の映像を見ていた。午後の陽光はやや弱まり、水平線上に船陰が見えた。身体の向きを変えて、後ろを振り返り、山林を眺めた。
巨大な山人達が、樹林の間を駆け抜ける陰があったように思えた。コジュッケイの甲高い声が木霊し、柳田は、十月になったら暖かい、琉球へ旅してみようと思った。柳田の頬へ、一筋の冷たい雫が走った。くしゃみをひとつすると、照れてしまい、ひとりで小さく笑い声を立ててしまった。見上げれば、九月の空はどこまでも高く、透明だった。
菊の花やコスモスが咲く花壇のところで、勝四郎と熊五郎はしゃがんで、i-podから流れる音楽にシャウトしているのが見えた。
熊楠は、ゲップをしてから、庭先に出て、勝と熊の二人が相変わらず、シャウトしている姿を見ると、何かおかしくなり、こっそり微笑んでしまった。三ヶ月前、安土城跡から帰ってみると、勝と熊の二人は、熊楠の家へ訪れ、熊楠の帰りを待っていた。河本から、wky24は解散したので、以前のように南方先生のところへ戻ったほうがいいと言われたらしい。坂丘会長はしばらく、南フランスで休養をとることにしたのだという。河本は美元財団を辞めて、学習塾を開き、昔のように歴史を教えるのだと言い、幸福そうな笑顔でしみじみと語ったという。
煙草に火をつけて、最初の一服を深く吸いこんだとき、郵便配達のおやじが、一通の配達証明を渡した。「配達証明って何や」と思い、差出人を見ると、和歌山県の裁判所からだった。何じゃい、また、神社合祀反対運動に対する郡からの訴訟かいな。
封筒の中には、訴状があった。しかし、それは神社合祀反対運動に関するものではなく、ひとりの女性からの告訴に関するものだった。告訴人は、一の瀬よねからで、南方家でのパラハラ、セクハラの為に精神的なダメージを受けたことにより、被告人である熊楠に裁判所への出頭命令が出ていた。本件への問い合わせは、和歌山県弁護士会を通すように、と。
熊楠は、妻の松枝を呼んだ。
「おい、よねって誰?」
「お梅のことですよ、先月辞めた」
「お梅?ああ、そうか。ところであのお梅って、何人めだっけ?」
庭先のコスモスや菊が、風に吹かれて、揺れていた。熊楠は煙草を深く吸ってから、ゆっくりと煙を吐き出し、まだ青い柿が隣の家の垣根の上から顔をだしているのを、ずっと眺めていた。那智の山はどうなっているのだろう。あれからもう三ヶ月なのだと、改めて気づくのであった。
店のたたずまいは他のお店と変わりなかった。入り口のガラス戸が開け放たれたまま、カウンターと二つのテーブルが見える。サキが若々しいのは、独り身のおかげなのかと、門前ルイは思った。自分はあれから年齢も重ね、劇団も人手に渡し、平塚らいてうと共に、婦人の地位向上運動をしていた。今ではルポライターとして、日本中を駆け巡っている。サキは、和歌山のスナック「ハナミズキ」を小料理屋に変えて、やや人口の増えた町で、そこそこ切り盛りしているらしかった。
沖縄の取材があったので、那覇の界隈を歩いていたルイは、夕暮れどきに、一件の店を見つけた。「ハイビスカス」という居酒屋だ。そのとき、ルイは泡盛の古酒をだいぶやっていた為、通り過ぎるだけのつもりだった。そして、店の中をふと覗いた後、やや急ぎ足で宿へ戻ったのだ。
翌日、つまり一昨日、サキへ連絡をした。久しぶりの連絡に、一瞬サキは相手が誰か分からなかったようだ。なにしろ五年の歳月が流れていたのだから。サキへ、お互いの共通の思い出、そして、「ハイビスカス」という店のことを伝えて、二日後である今日、沖縄で落ち合うことにした。
五年前とほとんど変わらない姿でサキはやって来た。薄い浴衣風の着物が、落ち着いた感じをだしていた。すでに夕方近くになっていて、船旅が疲れているだろうが、サキはすぐにでも出かけると言い、宿に荷物を置くと、早速二人は「ハイビスカス」へと向かうことにした。
「ハイビスカス」のある通りは、同じような店がいくつも軒を並べ、どの店にも二、三人の常連客がいる様子だった。ルイとサキが歩いている前を、ひとりの小さな女の子が走ってゆく。女の子は「ハイビスカス」に入っていった。ルイとサキも店に入った。
カウンターの向こうに、日に焼けて褐色の女性がひとり立って、洗い物をしている。店の奥にあるテーブル席には、常連なのか、二人連れの男女の客がビールを飲みながら、談笑し、カウンターにいる女性に声をかけていた。
カウンターの女性は「いらっしゃいませ」と、ルイとサキに声をかけた。女性は顔を上げてから、ルイ、次にサキの顔を見た。サキの顔の上で視線が止まり、首を傾けたが、また洗い物に視線を落とした。
ルイとサキは、カウンターの席に揃って座り、ビールを注文し、乾杯をした。さっき見た女の子は、店の奥にある扉を開けて、二階へつながるのだろう階段を勢いよく昇っていった。
カウンターの女性は口を開かずに黙々と、お通しを出したり、鍋の中をかき回したりしながら、ときおりサキのほうを見ては、遠くを見るような表情をしていた。
と、店の入り口から、「ゴーヤーあったよ、あった、たくさん」と明るい女性の声がした。
サキとルイは振り向き、店に入って来た女性はサキの顔を見つめたまま、黙ってしまった。サキは立ち上がった。サキの頬に細い涙の筋が出来た。
「ーじゃあ、さっきの子が?」とサキは微笑んで、店の入り口で立ち尽くす女性に問いかけるとも確認するともとれるような言葉をかけた。その女性は何度も頷きながら、サキと同じように、涙の筋をいくつも頬に浮かべたのだ。
ゴーヤの入った、買い物かごをさげている、その女性こそ、京子であった。いつの間にかカウンターの向こうで、菜箸を持った女性も、涙を浮かべて口を抑えていた。花田きく、その人であった。
ルイはビールの入ったグラスを目線にかかげて、小声で「グラシャアス ディオス」と呟いてから、ニッコリしながらビールを一口飲んだ。
外の通りでは、夜の帳が降りて、通行人達の振り撒く笑い声が南国の夜の空にいつまでも続くようであった。
(了)