第十二回

第一回
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 ハンナにとって、初めて観た映画が、後の人生に影響を与えるとは、本人も思っていなかったことだった。あのとき、声がでない状態と、無声で流れるイマージュ(映像)とが、何か呼応し、共鳴する何かを与えたのかもしれない。なぜか、幼子と食卓を共にする大人達のイマージュを観ているうちに、涙が頬を伝ったのは、やはり、ハンナの置かれた状況への呼応なのだろう。
 短い時間ではあったが、十数作品のイマージュのコラージュが、ハンナに与えた印象は大きかった。自分の中で何かが、始動しはじめるといったら、まだ当時十歳だった少女に対して、それは誇張だろうか。
 その表現では誇張過ぎるとしても、後年のハンナの活動の原点というのは、ラ・シオタの「エデン座」から始まったと言えるだろう。
 そうだ、後年サイレント映画の全盛へと移りゆく二十世紀の前半、ハンナは何本かの脚本を書いたこともあった。スクリーンに自分の名前がクレジットされる度に、「エデン座」やシケで食べた魚料理、ブイヤベースも一緒に連想した。レストランで、ヨハネスが声の出ないハンナの代弁をしてくれたこと、ノワールとの哲学的な会話等々。

 ハンナは、タイプの手を止めて、戸外へ、午後の陽光の差す、宿の裏手にある針葉樹の森へ、頭を冷やしに出た。
 そうだ、あの楽しく、また感動的な瞬間から、船旅へ移っていったとき、ハンナと、ヨハネス、そしてノワールにとって、時間と空間が、違った色になったのではなかったか。あのアルジェリアという灼熱の大地、いやアフリカ大陸そのものが、ハンナ達にとって、マルセイユのひとときと、全く異なる空間だけでなく、時間までも与えたのではなかったか。

 映画の間、ノワールはどこかを散歩していたらしい。時々、ノワールはひとり?散歩をするのが習性だと言っていた。映画が終わった頃、映画館の屋根の上からノワールは降りて来た。それにしても、今にして思えば、不思議な猫だった。子供心では、不思議を感じなかったのだが。なぜ、映画の上映終了時刻のタイミングが分かったのか、などいくつもの点で、不思議な事がいくつかある。といっても、最大の謎は、なぜハンナの心と会話できたのか、ということなのだが...
 映画を見終わった後、ヨハネスは郵便局に寄り、小包を受け取ると、ハンナとノワールを写真館へと連れて行った。町はずれの写真館でふたりと一匹の記念写真を撮影すると、ヨハネスは写真館の主人と店の奥のほうへ入っていった。しばらくして、ヨハネスが戻って来て、少し時間がかるので、散歩へ行こうと言って、写真館の近くにあるカフェへハンナとノワールを連れて行った。軒先のテーブル席に座ると、カフェオレ、ミルク(ハンナとノワールへ、ノワールへは灰皿へ)、ハンナにはケーキと、ノワールにはハムを注文してくれてから、しばらく待つように告げると、ヨハネスは写真館へ行ってくるとテーブルを立って、今来た方向へ歩いていった。ケーキもハムもなくなり、カップの底のミルクもなくなってから、ようやくヨハネスは戻って来た。手元には、記念写真を持っていた。記念写真を見ながら、ノワールの姿やハンナの姿について、ハンナを笑わせたり、ノワールを唸らせたりしてからカフェを後にした。そして一行はマルセイユへ向かった。
 ラ・シオタからマルセイユへ戻り、荷物預かり所から、当時流行していたヴィトンのスーツケースと、ハンナのためのリュックを受け取り、宿へ向かった。リュックの口の端からは、祖父の形見ともいえる熊のぬいぐるみの顔が出て、こちらを見ていた。ヨハネスは体力のなさそうな細い身体で、頑丈なスーツケースを重そうに運んでいた。ノワールだけは手ぶら?で、あっちへいったり、こっちへいったりと、好奇心の遠心力によって、周囲をランダムに歩いたり、走ったりしていた。
 マルセイユにある、修道院近くに宿があり、二部屋のうち、ベッドのある部屋をハンナとノワールに使わせ、ヨハネスは居間のソファーを使った。夜の祈りを終え、寝室の扉を閉めてヨハネスは扉の向こう側へ行った。扉のこちら側で、ハンナはノワールといくつか話をしていた。
 ハンナは今日観た映画の興奮を伝えたかった。ノワールは、人間って面白いという考察と感想だけで、映画については関心がなさそうだった。そして、ヨハネスが写真館で何をしていたかのほうに興味があるようだったけれど、ハンナにはそっちのほうこそ、関心など湧かないのだった。小包をどうしたのか、分からないんだとか、ノワールは呟いていた。
 欠伸が出たので、ハンナはノワールにおやすみの挨拶をすると、ノワールはベッドの端から下へ降りていって、おやすみの挨拶をした。ノワールの声がやがて心に聞こえなくなった。しんとした部屋の中で、いつしか、映画のイマージュの運動の夢の中へハンナの意識は溶け込んでいった。
 
 翌朝は、よく晴れ渡った空と蒼い海が広がり、ハンナ達の船出の旅を、祝ってくれるような日よりだった。

(次回へ)