黄昏のエクソシスト 第六回

第一回
前回

「どうすんだい、これからよ」
佐伯のじいさんは、煙草に火を付けながら聴いてきた。
灰皿には、吸い殻が山のようになっていた。
缶ビールの空き缶がつぶされて、数本がテーブルの上に置かれている。
佐伯のじいさんは、眠そうな眼をしばたたかせ、神経質そうに、煙草の
灰を積上った灰の上に落とす。

 私も眠かった。夕べは一睡もせず、佐伯のじいさんと途方にくれながらも
缶ビールからぬるくなったビールをすすりながら、どうしたものか、何の対策
も浮かぶわけでもなく、文字通り額を寄せ集めて相談していたのだ。

 あの柊家での悪魔払いから、すでに三日めのことだった。

 井上神父と筒は、柊家のたっての願いである、エクソシストとして向かったのだ。
それは、夕闇迫る頃のことで、二人が帰宅したのは深夜二時過ぎ頃だったろうか。
二人は無表情で、黙ったまま、私が用意しておいた軽食用のサンドイッチにも紅茶にも
手を付けずに、それぞれの住居へ帰っていった。

 翌日の昼になっても、井上神父も筒も教会へ姿を見せなかった。
 昨晩の疲れからだろうと思って、佐伯のじいさんと二人、
教会の雑務をこなして、夕方のミサになっても、
神父達がやってこないので、私が神父の家まで迎えに行った。

 ところが、神父の家には、神父はいなかった。何度か呼び鈴を押してみても、誰も玄関口に
現れず、そもそも神父は一人暮らしなので、神父以外はいないのだから、トイレにでも入って
いるのだろうくらいに思い、しばらくぶらぶらと散策して、再び訊ねた。
 
 しかし、やはり家には誰もいる気配がなかった。行き違いですれ違わなかったのだと思い、
(教会と神父の家は一本道なので、それも考えにくいことなのだが)教会へ引き返してみた。

 教会には、佐伯のじいさんしかいなかった。散り始めた桜吹雪のソメイヨシノの下で、煙草を
拭かしながら、ほうきを持って立っていた。

 私が話をすると、佐伯のじいさんは「どこ行っちまったのかねぇ」と言って、空を見上げた。空から
井上神父が降りてくるわけでもないのだが、私も空を見上げた。
 おまけに、筒も教会へ来てないという。電話をしても誰も出てこない。
筒も一人住まいなので、留守ということなかもしれない。

 近所の信者がミサに来るので、教会を閉めるわけにはゆかない。
コンビニエンスなみに、基本的に教会は二十四時間オープンしている。

 信者が教会に集まっても、各自祈りを捧げて帰ってゆくので、
困ることはないが、中には懺悔の告解をしたい信者もいるだろうが、
仕方ない。

 結局、夜になっても神父も筒も姿を見せなかった。

 私はネグラの元小学校へと帰っていった。

 ニーチェの「道徳の系譜学」を読んでいるうちに眠り込み、
眼を醒ましたのは深夜三時頃だった。

 トイレにゆき、手を洗っていると、なんとなく校舎から音楽が
聞こえてきた。

 かすかな音なので、最初は気づかないが、
なにかリズミカルな音楽が響いているのが聞こえた。
耳をすますと、お祭りの盆踊りのような音楽だった。

 校舎のほうへ向かうと、果たして、音源が近づいて来た。
一番端の元教室から、音楽が流れていた。

 どうやら、レコードのようだった。生の演奏ではなく、雑音が
混ざった音楽だ。
教室だった部屋は、暗く、明かりはなかった。

ーだが、窓から覗くとー。

 井上神父、筒、柊家の娘や祖母、母、父親や、
その他、見た事のない人間が数人、踊っていた。

 どうやら、盆踊りの音楽なのだ。
その音楽に合わせて、皆が輪になって、踊りながら、
輪になって進んでいる。まさに、盆踊りの動き方そのもの。
盆踊りの理論というのか作法というのか、よく知らないが、
そのままに、踊りながら輪になって、ぐるぐると廻って
いるわけだ。

 私は思わず、まいいか、と口ずさんでしまったのだった。
なぜなら、異常な事態というのか、人間初めて遭遇した理解不能な
場面に遭遇した場合、まあいいかという反応をしてしまうのではあるまいか。

 とにかく、異常だからといって、どうしてよいか分からない。
しかも、うかつに誰かに話しても、すぐに信用してもらえるのだろうか。
井上神父達が、深夜の元小学校の教室で、盆踊りの練習をしているんだよ、
などと佐伯のじいさんに話したとしても、かえって、「おめぇ大丈夫か?」
と逆に私自身が疑われるのがオチだ。

 人間とかく、信じがたい光景を見て、素直に他人に話してはいけないのでは
ないだろうか。
 冗談ととられるか、それもつまらない冗談かあるいは、悪質な冗談、誹謗とも
受け取られかねない。
 あるいは、精神状態を疑われるという場合もあるのだから。
 
 とにかく私は、その場をほっといて、ねぐらにもどり、リュックの底にあった
ウイスキーの小瓶を取り出すと、ほんの一口飲んだ。そして、もう一口...
 
 気づくと、雀の声がした。座布団を枕にして、
空になったウイスキーの小瓶が転がっていた。
雨戸の隙間から朝陽が差し込んでいた。

 念のため、夕べ見た盆踊りの跡地である、教室へ行ってみた。
 
 もしかしたら、神父達が寝ていたら、と期待したのだが、
教室には誰もいなかった。
 
 ただ、レコードプレイヤーだけはあった。プレイヤーには、
この地方の盆踊りのレコードが、お約束のように、ドーナッツの
ようにプレーヤーにセットされていた。
 
 ここで、あわててはいけない。

 私は計画を練った。佐伯のじいさんも目撃者に加えよう、と。

 そして、酒屋から奮発して一升瓶を買った。柊の銘酒という一番高い
のを買った。
 
 スナック「さくら」へ行き、佐伯のじいさんに、今日は銘酒を買って
おいたので、この後どうかと誘ってみた。
 「さくら」のママが、ちょうど、刺身のいいのをとってあるから、
持って帰ったらいいと言い、いかと白身魚の刺身を皿に盛って、
サランラップに包んで持たせてくれた。
 佐伯のじいさんは、ひとしきり、ママや今日子ちゃんへ、井上神父と
筒が姿を見せないのだとこぼした。
 今日子は、「神様だってたまには休みたんじゃない」と笑った。
「アホぬかせ、聞いた事ネェゾ。でもま、確かにな、たまには休みも
いいかもな」と佐伯のじいさんは言い、ビールを煽った。

 佐伯のじいさんと、元小学校の私のネグラに行き、銘酒の封を開け、
「さくら」のママから貰った刺身を肴に飲み始めた。

まだ、深夜の一時だった。

 だが、何時から盆踊り(?)が始まるのか知らないので、
時々、トイレに立つ振りをしては、教室を遠目に見たが、
人影はなく、音楽も始まっていなかった。

 佐伯のじいさんは、二箱めの煙草を取り出し、火を付けながら、
教会のことについてこぼしていた。

そもそもは、フィリピンパブの女の子に誘われて教会に来たのだと、
来歴を語り始めた。
 フィリピン嬢が帰国して二年になる話にさしかかったとき、深夜二時を少し
廻っていた。
 
 教室に近づくと、果たして? 
 音楽が流れていた。
 人影があった。
 なんとなく、昨日より人数が増えていたろうか。
 
 正確に数える気はないので、そのまま、ネグラへと戻った。

「佐伯さん、なんだか教室のほうから音楽が流れているんですよ...」
と私は白々しくも、目撃者を増やすために、佐伯のじいさんを誘導した。

「え、教室が、どうしたって?」据わった眼で、佐伯のじいさんは湯呑み茶碗
から酒を煽り、イカ刺しを一切れ口に入れた。

 なんとか説得して、一緒に教室へ様子を見に行かせた。教室へ向かう途中も
千鳥足の佐伯のじいさんを誘導し、辛抱強く、教室までやって来た。
「あれ、なんだこれ、盆踊りの音楽じゃないか?」佐伯のじいさんのが声が大きいので
少しひやりとしながら、中の様子を見た。
 
 中の連中、神父達は、踊りに夢中で、いろんな表情で、でも全体的には無表情で
踊りに専念していた。

「おい、おい、あれ神父さんだぞ。あれ、筒ちゃんもいるぞ。ええ、なんだ、あっちは
柊さん一家だよ、どうしたんだ、おい?」

佐伯のじいさんは酔いが醒めたのか、酔いが醒めきれないのか、自分の頬を叩きながら、
眼を見開いて中の様子を凝視していた。
 
 佐伯のじいさんと私は(白々しくも)、顔を見合わせた。

 教室の中ではまだ、踊りが続いていた。盆踊りの陽気な歌手の音頭が、妙に
その場にそぐわない感じがして、しかも不気味だった。

(次回へ)