第五回 黄昏のエクソシスト

第一回
前回


 筒が教会の玄関前にある石の階段の前に腰を下し、両手で頭を抱えていた。私は裏庭の草を刈り終え、隣の敷地にある納屋へ行く途中だった。
 私の足音に気づき、筒は顔を上げ、ご苦労様ですと弱々しい声で言った。少し気になったので、私は石段の途中までゆき、気分でも悪いのか聞いてみた。筒は眼鏡をはずしてハンカチでレンズを拭きながら、いいえ、そうではないのです、と首を振りながら言った。
 筒は眼鏡を掛け直すと、立ち上がり、石段を降り始めた。私も一緒に石段を降りた。
 筒は私の顔を覗くようにしてから、「冬見さん、あなたは霊魂というものを信じますか、否、聖職の身である私が言うのもおかしいですが、三位一体説の、神以外のことを意味しています。つまりですね、悪霊であるとか、ご存知のとおり柊さんのお嬢さんに取り憑いている悪霊のことを意味しているのですが....」
 筒はレンズの向こう側で目を大きくして、私に問いかけた。
 しかし、私にはその問いに対する答えはなかった。ニーチェ流に捉えれば、人間と霊との関係についての心理学なのだろうが。形而上学の目的とは、この現実にある、ここにある、あるいは今そこにある世界を否定することにある。
 そんなことを、聖職者に語るべきでないので、私は違う角度の答えをしてみた。
「民俗学的に見れば、共同体の信念体系の要素として霊魂が考えれているそうですね。日本には土俗信仰が、まだ残っている地方があるそうですよ。関東ではオサキとかクダ、という名前の動物霊というのか何かこの世のものではない、ものに憑依されるという土俗信仰もあるそうですね。憑きものの「もの」のことだそうです。今日はついているとか、いうときの憑くがそうだと。現象の解釈体系ともいえるらしいですね」
「冬見さん、あなたはいろいろと詳しいですね。私は聖書や教典中心で育ってきたものですから、キリスト教の世界以外のことはよく分からないのですが、でもお稲荷信仰とか仏教でいる御仏のこととか、記紀神話のことも、否定することはありませんが、肯定もまたできないのです」
 筒の言葉は、一瞬途切れ、敷地にある樅の大木を見上げてから、ソメイヨシノの樹木に咲く花のほうを見た。私もしばらく、桜の花に見とれていた。
「ーそうなのです。この間から、柊さんから娘さんに取り憑いている狐を、お祓い、つまり井上神父へエクソシストとして、狐の悪霊を追い払って欲しいというお願いがきていたのです。そして、井上神父に、中央から許可が下りました。でも、私にはとても信じることができないのです。悪霊というものの存在が。さっき、冬見さんの言っていたように、悪霊は一種の信仰だということで、この世界に存在するものではないと、そう私自身が思えればどんなに楽でしょうか」
 そんな筒の悩みを見ながらも、私はといえば、筒の真剣な表情と桜の花との対照のほうが、何かこの世ならぬものを感じていたのだ。

(次回へ)